『ほら、あの人・・・・また来てるわよ。』

『何しに来てるのかしら?』

やつれた少女をガラス越しに見つめる冬弥の姿に、看護婦達がヒソヒソと囁いた。

少女の安否が気に掛かかり、気が付けばこうして病院に佇んでる自分の浅はかさに、

冬弥は自嘲しながらも言葉を失い虚空を眺める彼女を見守り続けた。

『無駄ですよ・・・・。』

痩せこけた医師が利き腕にカルテを抱え歩み寄って来ると、冬弥の横で同じ様に少女を眺めながら呟いた。

『心の病はそう簡単には治りません。・・・・・・事情聴取なら諦めて下さい。』

「・・・・・・・・・。」

沈黙を続ける冬弥の横顔を見て溜息をつくと、医者は少し怪訝な表情を浮かべて話を続けた。

『それに・・・いくら公安の方とはいえ隔離病棟にそう何度も来られると、他の収容患者にも影響が・・・。』

「分かってる・・・。だが、あの子の処遇が決定するまでは見逃してくれ・・・・。」

医師はそこでようやく口を開いた冬弥の瞳の奥に、僅かながら感情の変化をあった事に気付くと、

おもむろにカルテを開いてページをめくり始めた。

『公安の方に向かって・・・こんな事をいうのもなんですが・・・・・。』

「・・・・・・・?」

『私は・・・こう見えても桐杏医科大学出身でしてね・・・。

 まだ医師になりたての頃は多くの患者を救おうと躍起になって我武者羅に努力しましたよ・・・・。』

そこまで語るとズレた眼鏡を指で整える。

『・・・・この隔離病棟に来て多くの患者を診てきました・・・。

 初めてここへの配属辞令を言い渡された時には、正直絶望しましたよ。

 そりゃそうでしょう。犯罪者が送り込まれる場所なんですから。

 ですが、最近現実というものが見えてきましてね・・・・。』

「・・・・・現実・・・。」

『凶悪な犯罪者もいますが、それ以上に・・・・この子のような境遇の人間が数多くいるんです。』

「・・・・・・・・。」

病棟内で何処からどもなく赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。

『確かにこの子達は不法入国という罪を犯している。

 だが・・・・私達の行っている事も、また、罪じゃないのか・・・・。

 そんな葛藤に最近悩まされましてね・・・・。』

「・・・・・・・・・。」

ガラガラ・・・・。

リノリウムの床とストレッチャーの滑車が無機質な音を奏でる。

『この国はいつからこんなに病んでしまったんでしょうね・・・・。』

医師の呟きに冬弥は自然と応えていた。

「・・・・とおの昔から病んでたんだろ。」

 

THE BLOODY ALBUM 

第4話 仮面同盟

 

「通称、黒龍牙(ヘロンヤァ)。

 構成員は末端を含めるとおよそ2万人強。

 海外ではリザードと呼ばれ恐れられている国際的な犯罪組織よ。

 国内では関東一帯を束ねる大陸系マフィアの頂点に立つとされ、

 約2000人規模のメンバーが現在も桐杏周辺に潜んでるそうだわ。 

 山口・稲川・住吉の主要3団体も彼らを恐れて極力衝突は避けているし、

 一部のヤクザの組織も、ここ数年でどんどん吸収されていってるみたい。」

暗闇の部屋の正面に設置された大型液晶ビジョン。

そこに映し出される数々のスクリーンショットを端末で操作しながら、美咲が淡々と説明する。

「これが・・・・冬弥くんが戦っている敵・・・・。」

黒龍牙の映像資料を見つめながら、由綺が呟いた。

「結成された正確な年月は不明だけど、少なくとも2000年初頭より上海での記録が残ってる。

 麻薬密売、武器密輸、不法入国者案内・・・・関与する犯罪を数え上げればきりが無いわね。

 桐杏でのテロルはほとんど彼らが裏で手を引いていると見ていいけど、

 分からないのは、彼らの目的がいまいち不透明なのよね・・・・。」

ピッ。

美咲が席を立つと同時に部屋が明るくなり、正面のスクリーンが壁に収納されていく。

「・・・・・・・先輩は・・・」

そこで何やら口篭る由綺に気付き、彼女は由綺に歩み寄った。

「何か他に知りたい事ある?」

「・・・美咲先輩は・・・・冬弥くんの事、知ってたんですか・・・?」

顔を上げる由綺の悲しげな表情を見て、美咲は眉をひそませると

直ぐ隣の席に腰かけて、ゆっくりと口を開いた。

「・・・彼ね・・・私の大切だった人の親友だったの。」

「大切な人・・・?それって美咲さんの恋人ですか?」

由綺の問いかけに美咲は頷くと、自嘲気味に口元を歪ませる。

「恋人・・・そうね・・・。結局、私の彼氏とは・・・お互いすれ違いが多くなって・・・

 その・・・フラれちゃった。」

美咲は小恥ずかしそうに笑うと、髪をかきあげた。

その直後、部屋のドアをノックしてフランクが入ってきた。

「あ、フランク?」

「フランクさん、どうしたんですか?」

フランクは部屋に由綺がいる事を確認すると、

美咲に軽く会釈した後で、由綺を手招く。

「由綺、ユグドラシルが呼んでる。」

「あ、はい。分かりました。・・・・じゃあ美咲先輩、有り難う御座いました。」

ペコリと美咲に頭を下げた後、部屋を出て行った由綺を確認して

フランクは美咲に歩み寄り、何か言いたげな表情で彼女を凝視する。

すると、美咲はため息をついて立ち上がった。

「ダメね・・・・ショック大きいみたい。」

「やっぱり、先日の彼が原因かい?」

「そうね・・・彼女、彼に相当入れ込んでたから・・・。」

そう言うと、美咲は机に置いていたファイルの中に挟まれた茶封筒の中から

一枚の資料を抜き出すと、大っぴらに広げるのであった・・・・。


― 公安特殊武装隊 ―

 

薄暗い街の中を、冬弥は彷徨い歩いていた。

何処を探しても人は誰もいない。

不気味なまでに静かであり、ただ街灯と広告ネオンの明かりだけが彼を包み込むだけだった。

何かを求めて冬弥は歩き続ける。

彼は求めていた。

殺伐とした日々の合間での微かな安らぎを。

そして彼は行き着いた。

霧の先に佇む由綺のもとへ・・・・。

「由綺・・・・。」

冬弥がゆっくりと彼女のそばへ近づくと、由綺は微笑んだ。

「冬弥くん。お帰りなさい。」

「由綺・・・・聞いてくれ・・・また・・・また人を殺してしまったんだ。」

「・・・・・・・・・。」

「真っ赤な血が・・・そう、この霧のように吹き出てくるんだよ・・・・人の体から・・・!」

「・・・・・・・・・。」

「今度はいつ殺さなければならないんだろう・・・・?俺は・・・・俺は・・・・!」

そこまで話すと、冬弥は頭を抱えて膝をついた。

すると、由綺の手が優しく冬弥の頬を撫ぜる。

「大丈夫だよ・・・冬弥くん。私がついてるから・・・。」

「・・・・由綺・・・・。」

「私が・・・冬弥くんを守ってあげるから・・・・・。」

「・・・・・・。」

「冬弥くんの敵は・・・・私がみんな・・・・殺してあげる・・・・。」

「ッ!?」

由綺のその言葉に驚いて顔を上げると、冬弥は息を呑んだ。

真っ白な雪のような手にはべっとりと血が滴れ、

彼女の服や顔は多量の返り血が浴びせられていたのだ。

「・・・由・・・綺・・・!?」

「さぁ、冬弥くん・・・一緒に殺そう?」

「ッ!!!」

カチカチカチ・・・・・。

気付けば真っ暗な部屋の中で、時計の音だけが静かに木霊している。

「ハァ・・・ハァ・・・・ハァ・・・・。」

肩で息をしながら、次第に状況を把握していく冬弥。

ゆっくりとベッドから起き上がり、部屋の電灯をつけ、部屋を見回す。

時計の針は20時を指しており、目の前の棚にある写真立ての中の由綺がこちらに微笑みかけていた。

ガシャン。

手で叩き落とした写真立てが、勢いよく床に叩きつけられる。

「・・・・・・クソ・・・・・!」

ふと、テーブルの上に置いていた端末から淡い緑の光が点滅している事に気付くと、

冬弥はそれを手に取り、着信していたメッセージに目を通した・・・・。


パパーパー!

タイムズスクウェアで発生したテロ事件の後、

神樹宮では封鎖区域を中心として交通規制が布かれ、

渋滞中の車両から絶え間なくクラクションが鳴り響いていた。

1年振りにテロが都心を襲う!】

【タイムズスクウェアを中心に起こった無差別爆弾テロの犠牲者は60人超】

【犯行グループは反政府組織『憂国』によるものであり、SATの介入により事件発生後1時間足らずで鎮圧】

新聞の一面を飾る大きな見出しが、そこかしこで見かけられた。

【犯行グループは全員射殺】

そんな見出しが印刷された新聞の切れ端を踏みつけて、神樹宮の大通りを歩く冬弥の姿があった。

やがて、華武鬼町の南端に架けられた大型の陸橋に辿り着くと、

対面に佇んでいた女性を見つめ表情を曇らせた。

「・・・・・来てくれるって信じてた。」

「・・・・何の用だよ。」

少しやつれた表情で笑みを浮かべる由綺。明らかに無理して笑顔を作っているのが痛々しかった。

それでも冬弥の口からは冷たい言葉が綴られる。

冬弥は懐から煙草を出すと、火をともす。

「あ、あのね・・・私、謝らなくちゃと思って・・・・。」

「・・・・・・・・。」

「私は・・・昨日見た通り・・・・世間一般の人間じゃないの・・・。」

「あぁ・・・今さら言わなくても分かってるよ。」

煙を吐き出し、淡々と答える冬弥の瞳は、

既に一昨日まで彼女に向けられていた暖かい眼差しとは全く別のものに変わり果てていた。

それに対して思わず泣きそうになる衝動を抑えながらも、由綺は言葉を続ける。

「冬弥くん、私の事・・・・嫌いに・・・な・・・った?」

「・・・・・・・・。」

「私は・・・冬弥くんがどんな仕事をしていても・・・冬弥くんの事・・・好きだよ。」

「もうやめろよ。」

「!?」

ビュッゥゥ!

冬弥の一言と共に冬の寒風が2人の間を吹き抜けた。

「もう笑うしかないな・・・まさか・・・お互いこんな人間だったなんてな・・・クク・・ククク!」

そう言って苦笑すると、冬弥は煙草を投げ捨てた。

「・・・・いよ・・・。」

「何?」

俯いた由綺から、震えた声が聞こえてくる。

「酷いよ・・・・冬弥君だって・・・・黙ってたじゃない?」

ここで初めて由綺が怒りの感情を露にさせた事に、

冬弥は若干戸惑いを覚えつつも、平静を装って言葉を続けた。

「あぁ、そうだな。俺も悪かったな。お互い悪かった。それでいいだろ?」

その冬弥の言葉を聞いた由綺がハッと顔を上げて蒼ざめていく・・・。

「・・・・え?」

「これで・・・お互い・・・・すっきりと・・・・別れられる!」

「ちょ・・・ま、待ってよ・・・・。」

「何だよ?」

「いや・・・嫌だよ・・・・私、冬弥君と別れたくない・・・。」

「・・・・・・・・・・。」

冬弥は眉間にしわを寄せて由綺を黙視した後、踵を返してその場を去ろうした。

「冬弥くんが、好きなの!だから・・・・これでお別れなんて言わな・・・・

「俺は迷惑なんだよッ!」

「ッ!!」 ビクッ

振り返って叫びにも近い声をあげる冬弥に、思わず由綺は身体を硬直させる。

「もう・・・御終いだよ。俺たちは・・・。」

「そん・・な・・・・!」

「・・・さよなら・・・・今まで・・・ありがとう・・・。」

別れを切り出す冬弥の背後から泣きじゃくる由綺の嗚咽が夜の魔都に響き渡った・・・・・・・。

藤井冬弥は仮初の恋人に安らぎを求め、森川由綺は冬弥という人間に安らぎを求めていた。 

お互いの価値観のジレンマを解消出来ないまま、平行線をたどる2人。

それは決して交わる事は無いのだろうか・・・・。


― これでいいんだ・・・・これで。

翌朝、餓乃(※旧 上野)公園の一角にブルーシートが一面張り巡らされ、

複数の車両が公園周囲を覆うように停車していた。

車から降り立った彰と3人の黒鴉が、ブルーシートを潜ると表情を強張らせた。

「・・・・・・。」

大量の蝿がたかっている先にあるモノに、彰は嫌悪感を隠しきれず顔をしかめた。

『・・・公安の潜入捜査官です。通報は今日の午前3時頃に・・・・。』

死体の傍にいた検視官が淡々と話す。

『酷いもんだ・・・遺体も損傷が激しい。両腕を切断され、両目もくり抜かれていますね。

 死因は出血多量によるショック死と考えられますが・・・・。』

「・・・・・奴ららしい下衆な手口だな。」

腐敗臭を紛らわすかの如く、彰はおもむろに煙草に火をつけた。

連れ添っていた黒鴉の一員が小声で囁いてきた。

『見せしめ・・・・か?』

「それもあるだろうが・・・恐らくは・・・・・・。」

『他意があると?』

「・・・いや、俺の考えすぎかもしれないが・・・・。」

彰はそこまで話すと再び煙を吐き出し、少し間をおいて呟いた。

「・・・・報復の・・・・・狼煙か。」


バァーンッ!

バァーンッ!

地下に設けられた射撃場に、由綺の愛銃クリーム・デライト(ベレッタM30改)の咆哮が木霊する。

20メートル先にある標的の急所が見事なまでに撃ち抜かれていく。

バァーンッ!

バァーンッ!

『・・・さよなら・・・・今まで・・・ありがとう・・・。』

由綺の視界が水面下の様にゆらゆらと揺らめき、屈折していく。

彼女は泣きながらも標的を撃ち抜き続けた。

『・・・・・・・ありがとう・・・・。』

バァーンッ!

チュインッチュインッ!!

ズバッ!

最後に撃った弾丸が天井から、見事なまでの跳弾の軌道を描いて標的の頭部を突き抜けた。

カララ・・・・

足元に転がり落ちる薬莢の音だけが、無音になった射撃場に虚しく木霊した。


パパーパパーブロロロロ・・・・

人と人、車と車が交差する大都市の狭間。

刹那の間に行き交う各々の人生という名の喜劇と悲劇。

魔都という巨大な舞台の中で、冬弥は神樹宮の一角に花を添えていた。

今となっては新道設置により、人通りの少なくなった道路。

路上周辺は悪趣味な落書きで埋め尽くされ、不法投棄のゴミなどが散乱している。

そんな寂れた場所で、彼はとある一角を見つめ続けた。

彼の父親が撃ち殺された場所を・・・・。

血と硝煙・・・冬弥を庇う様に事切れた父親の骸が、今も冬弥の脳裏に鮮明に映し出される。

黒鴉という強大な組織での過酷な生活の中で、

父親の仇を探すという決意がいつの間にか

次第に薄れていっていたという事実は彼自身が誰よりも痛感していた。

「父さん・・・黒鴉は・・・黒鴉のやってる事は辛い・・・。」

バサバサッ!

冬弥が振り返ると、背後には1匹の大きな鴉が投棄されたタイヤの上に降り立っていた。

鴉はじっとしたまま冬弥を見つめてくる。

「俺は・・・・俺のやっている事は・・・・一体何なんだろうな・・・・・。」

グァーッ!

バサバサッ!

鴉は彼の自問に応えるかのように、大きな泣き声を一声上げた後、再び翼を広げて飛び立っていった。


ザワザワ・・・・・・

再び神樹宮の大きな人の流れの中に身を投じた冬弥は、

どこへいく事もなくフラフラと流れるままに足を運んでいた。

『冬弥くんが、好きなの!だから・・・・これでお別れなんて言わな・・・・』

いつの間にか脳裏に波打っては帰る由綺の言葉が、彼の意識を朦朧とさせていた。

ポンッ

「・・・!」

不意に肩を叩かれ、呆けていた冬弥は慌てて振り返った。

すると目の前にはサングラスをかけ、ニット帽をかぶった女性が微笑んでいた。

その風貌からはよく分からないが世間一般でいう美人というのは何となく分かる。

キョトンとした冬弥に女性は軽く声をかけてきた。

「よ。」

「・・・・・・・・。」

「もしもし・・・?生きてる?」

「・・・・・・・・誰だ。お前・・・・?」

ぶっきらぼうに応える冬弥に女性は手をあげたまま、その場に固まった後、

やがてワナワナと震えると、顔を紅潮させた。

「なッ!?なによ・・・!?見て分からないの!私よ。ワ・タ・シ・・・。」

ムッとした様子で女性がサングラスをはずすと、九葉の緒方理奈であった。

「・・・・・・あぁ・・・お前は・・・緒方・・・なんだっけ?」

「理奈よ・・・あんた・・・わざと言ってるの?」

「すまないな。あまりテレビとかは好きじゃないので見ないんだよ。」

「・・・・ふーん。の割には私が芸能人だって事知ってるじゃん。」

怪訝な表情を浮かべる理奈を見て、冬弥は先程から感じていた違和感にようやく気がついた。

それは理奈自身の表情である。

先日出合った際の肉食動物のような鋭いオーラが今の彼女から感じられない。

以前ポスターで見たままの彼女が目の前に立っているのである。

ふと横目で道行く女性と見比べてみると、理奈が際立っているのを嫌でも認めざるを得なかった。

あのゾッとするような人形のような瞳の由綺と同様に、

彼女もこうして偽りの自分を作っているのかと思うと、

冬弥はこれ以上関わりたくない気持ちに満たされ、その場を去ろうとした。

すると、理奈にムンズと襟首を掴まれる。

「ちょっと、待ちなさいよ!こ〜〜〜んな可愛い子が声かけてあげてるのに、シカトする訳ぇ?」

「・・・俺に何の用だよ!」

「ま、ちょっと面貸しなさいよ。話したい事あったし。」

サングラスを再びかけて理奈はそう言うと、冬弥の手を引っ張り少し通りから離れた喫茶店の扉を開けた。

カランカラン・・・・・。

店舗の奥の方にある2人掛けの席に座ると、すぐさまウェイターに注文する。

「あ、コーヒーとクリームソーダ下さい。」

「・・・・・・・・・。」

「コーヒーはブラックで良かったわよね?」

「・・・・俺は甘党なんだけど・・・・。」

「・・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・・。」

目の前に置かれたクリームソーダ。そしてミルクと砂糖が添えられたホットコッヒーが

ほのかな湯気を立てている。

既にアイスクリームが無くなったクリームソーダを、ストローでかき混ぜながら理奈が口を開く。

「・・・アンタ、何者?」

「見ての通りただのフリーターさ・・・・。」

「・・・・表向きはでしょ。」

「いちいち聞く必要もないだろが・・・黒鴉の末端だ。」

「末端?嘘。」

「・・・・あ?」

「末端の人間が私を倒せる訳ないじゃない。クロウでしょアンタ。」

ガタッ

理奈の言葉を聞いて、冬弥は驚くと声を殺しながら語気を荒げて理奈に食いかかった。

「―ッ!どうしてクロウを知ってる・・・!」

「レイヴンの組織の概要程度なら、兄さんくらいになれば簡単に分かるのよ。」

ニヤリと不敵な笑みを浮かべる理奈をしばらく睨んだ後、

やがて冬弥は落ち着きをはらって一口コーヒーをすすった。

「生憎だが俺はクロウでもなんでもない。本当に黒鴉の一隊員だ。」

「ふーん・・・・ま、この際それはどうでもいいわ。どうせあの時はフェアじゃなかったし・・・・・。」

「ハ・・・大層な自信だな。」

「自信じゃなくて事実よ。」

理奈は一瞬ギラリとしたあの瞳をのぞかせると、軽く身を乗り出して呟いた。

「ア ン タ が 由 綺 の お 気 に 入 り じ ゃ な け れ ば と っ く に 撃 ち 殺 し て い る わ よ 。 」「・・・・・・・・・。」

「本当は凄く殺してやりたくて今もウズウズしてるの・・・・・。」

「殺人狂め・・・!」

冬弥は舌打ちすると、席を立とうとした。

「少し違うわね・・・プライドが許せないだけよ。」

「そんなに俺にやられた事が悔しいか?」

「なッ!?やられたなんて思ってないわよ!!」

ガシャーン!

し・・・ん・・・・。

喫茶店が一瞬静まり返ったのに気付き、冬弥は慌てて腰を下ろすと軽く喉を鳴らした。

「殺したければいつでも殺しにこいよ・・・・・・殺されてやるから。」

「・・・・・なんですって?」

冬弥の言った言葉の真意を分かりかねるといった様子で、理奈は目を白黒させた。

「またそんな顔・・・・・してる。アンタ、一体何考えて生きてるの?」

「・・・・・。」

「会った時から気になってたけど、その目、すっごくムカツク。」

「・・・・・。」

「その全てがどうでもいいような、投げやりな目。やめてよね。」

「赤の他人のお前に、いちいちそんな事言われる筋合いねーよ。じゃあな・・・・。」

これ以上付き合ってられない。と、冬弥は1000円札を置いて席を立とうとした直後、

突如理奈に手首を掴まれ、強制的に席に座らされた。

「・・・おぃ!」

「黙って・・・・。」

「!?」

いつの間にか理奈の表情が一変して、ピューマの様な瞳をギラギラさせている。

「アンタ、間抜け?」

「は?」

「尾行されてるわよ。」

「ッ!!どこだ・・・?」

「アンタの背後左斜めの壁際。」

理奈はそう呟いて、カップの陰から人差し指で方向を指し示し、何気ない仕草でサングラスをずらす。

冬弥もサングラスに反射した店内の様子を伺うと、確かに2人組の男の姿が映った。

「九葉じゃないわよ。」

「・・・・・黒鴉だ。」

「何よ、アンタ全然信用されてないじゃない。」

「まぁ・・・・問題児扱いだからな・・・。」

「ここでお別れね。」

「お前はどうする?」

「私?私はアンタが去った後にでも適当に撒くから御心配なく。」

「じゃあお言葉に甘えて、先にずらかるとするか・・・・。」

改めて冬弥が席を立つと、理奈があえて冬弥とは視線を合わせず

今一番彼が聞きたくなかった言葉を口にした。

「ねぇ・・・・・由綺に会ってあげないの?」

「会いたくねぇんだよ。」

「あの子、ずっと泣いてるのよ・・・・。それでも平気なの?」

「・・・・・・・・・。」

「アンタ知らないかもしんないけど、あの子アンタ無しじゃダメなのよ。」

「知るかよ・・・・俺にどうしろって言うんだよ・・・・。」

カランカラン・・・・。

冬弥が去った後も、理奈は一点を見つめて苦々しく吐き捨てた。

「・・・・とんだクズ掴まされたわね、由綺。」

 


カチカチカチカチ・・・・・・。

部屋の時計の駆動音が静か過ぎる部屋に響き渡る。

ベッドに仰向けになっていた冬弥は煙草の灰を落とす為、

ゴロリと体を捻るとすぐ横のテーブルにある灰皿に手を伸ばした。

ピンポーン♪

「・・・・・・?」

自分の部屋のインターフォンを音が聞こえ、何気なく時計を見ると

時刻は21時を指していた。

恐る恐る冬弥は立ち上がり、モニターのスイッチをONにする。

するとモノクロの画面にはドアの向こう側にいる来訪者が映し出された。

いつの間にか雪が降ってきたのだろう。

髪や肩を真っ白に染めた由綺が白い吐息を吐き出しながら、佇んでいる。

そんな彼女に対して、未だにどのような言葉を綴ればいいのか分からない冬弥は、

ただ扉の前に立ち尽くすしかなかった・・・・・。

・・・コンコン。

今度は扉を軽くノックする音が聞こえた後、由綺の小さな声が耳に入ってきた。

『開けたくないのなら開けなくてもいいよ・・・・・冬弥くん。

 ・・・・そのまま話だけでも聞いて・・・・・。』

由綺はそう言うと、扉に背もたれてかじかんだ両手に息を吹きかけた。

『私・・・冬弥くんの事が好き・・・凄く好き・・・。

 冬弥くんが同じ世界の人だと分かった時、凄く驚いたけど・・・嬉しかった。

 私、もう無理する必要なんてないんだって分かったから・・・・。

 もっともっと冬弥くんの傍にいられるんだ。もっともっと近づけるだと思ったの・・・・。

 だけど、迷惑だよね・・・・・

 ・・・・・・・私・・・・もうダメかもしんない・・・・・・。

 本当はね・・・・とても苦しいの・・・生き続ける事って・・・・・・

 だけどそれでもここに来れば冬弥くんの顔が見れたから・・・・。

 それだけが生き甲斐になってしまっていたから・・・・・。

 私、私・・・・・

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

そこまで聞こえてきた由綺の言葉が途切れ、その後嗚咽が聞こえた。

『私・・・・辛いよ・・・!

 人を殺すのも・・・・仲間が死んでいくのも・・・・。

 だけど、九葉は辞められない・・・・!辞める訳にはいかないの・・・・!

 こんな自分、好きになれる訳ないじゃない・・・・・・。

 冬弥くん・・・・・冬弥くんだけは・・・・好きでいさせて・・・・・・。』

ガチャ・・・・・・

扉のロックを開ける音が聞こえ、由綺が慌てて扉から飛び退くと、

冬弥が出てきて、バスタオルを彼女の頭にのせると、苦笑した。

「・・・・・・そんなところに立ち続けたら肺炎になるだろが・・・・いいから入れよ。」

「・・・・・う・・・〜〜〜〜。」

堰を切ったようにボロボロと涙を零す由綺を、

冬弥はそっと自分の胸に抱き寄せると、そっと由綺の頭を撫ぜた。


― 俺達、いつまで生きられるんだろうな・・・・・・・・。

 

『・・・・また来てるわよ。』

『ほんと、何しに来てるのかしら?』

やつれた少女をガラス越しに見つめる冬弥の姿に、看護婦達がヒソヒソと囁く。

またこうして気付けば病室の前に佇んでる自分の浅はかさに、

冬弥はやはり自嘲しながらも言葉を失い虚空を眺める彼女をそっと見守り続けた。

パパーパパー。

相変わらずの喧騒に包まれた神樹宮の通りを歩きながら、冬弥は物思いにふけていた。

あの晩から2日経つが、由綺からは連絡もなく、冬弥の部屋に訪ねて来ない。

とりあえず元の鞘に戻ったと言っていいのだろうか?

お互いの正体を知ってしまった以上、会話もどことなくぎこちなく、

また、冬弥自身も彼女に対する接し方を考えあぐねていた。

部屋に戻ると電灯をつけ、冷蔵庫からスポーツ飲料を取り出すと、軽く口に含んでベッドに腰掛けた。

ピンポーン♪

インターフォンの音を聞き、冬弥は立ち上がって扉に向かう。

「由綺か?」

だが、扉一枚向こうの相手の気配に気付いた冬弥は、無言でロックを解除した。

「・・・・・・・・・・。」

「彰・・・・・。」

カチカチカチカチ・・・・・・。

時計の音がいつもよりも五月蝿く感じられる部屋の中で、

冬弥は佇んだまま、彰を眺めた。

「どうしたんだよ・・・・珍しいな・・・・お前がここに来るなんて。」

「・・・・・・・・。」

「何かあったのか?」

普段よりも険しい表情の彰が重い口を開いた。

「・・・・連中にバレてるぞ。」

「ッ!?」

息を呑む冬弥の表情を見て、彰の表情が一段と険しくなる。

「あの少女の居場所・・・誰に聞いた?」

「・・・・・・・。」

「・・・・松岡か・・・・。」

「・・・・・・・。」

驚きと焦りの色が見える冬弥の表情を、じっと観察するように彰は見つめた後、

やがて冬弥が恐れていた事態を告知した。

「あの少女・・・・強制送還が決定した。」

「なんだとッ!!」

「・・・・・近日中には本国に送還される予定だ。」

「その後どうなる!?」

「・・・・・・・・。」

「どうなるって聞いてんだよッ!!」

「言わなきゃ分からんのか?中国の法律で不法入国者がどういう末路を辿るのか・・・?」

「・・・・せろ・・・。」

「本国に送還次第、死刑だろうな。」

「やめさせろッ!!」

ダンッ!!

怒った冬弥が彰の襟首を掴み上げると、壁に叩きつけて彰を非難する。

「てめぇ・・・!俺達が何やってんのか分かってんのか!?見殺しにするってのかよ!!」

「当然の末路だ・・・・今までもそうだっただろ?」

「・・・ざっけんな・・・!!」

「いい加減にしろッ!!」

ガシャーンッ!

今度は彰が襟首を掴んでいた冬弥の手首を見事に切り返すと、

逆に冬弥を壁際に叩きつける。

「忘れたのかッ!誰が零國の仲間を殺したッ!?あぁ?言ってみろ!!」

「・・・・・・・−ッ!」

「いい加減に目を覚ませ・・・・冬弥・・・!」

「レイヴンって何だよ・・・・俺達のやってる事って・・・・一体何なんだよ!」

「秩序がない限り・・・死人は増え続ける。

 秩序を守るには、俺達黒鴉のような存在が欠かせない・・・・!

 誰かがやらなければならない事だ・・・・。お前もよく分かってる筈だ・・・・・。」

「・・・・・・・・お前こそ、本当に分かってんのかよ!」

「今晩はもう帰る・・・・・だけど、忘れるな。冬弥。俺達がいるからこそ、平和が守られるんだ・・・・!」

バタン・・・・・。

「・・・・・彰、何かが間違っているんだ・・・・何かが・・・・・!」

翌日も、冬弥は少女の様子を見る為、病院へと足を運んでいた。

死奈河駅を降り、駅前の大通りの交差点を渡った直後、

彼とすれ違うように黒塗りの大型車が通り過ぎていった。

「ッ!?」

ハッと冬弥は振り返り、小さくなっていく車を見て愕然とした。

その場で駆け出し、転がり込むように病院に辿り着くや否や雑談している看護婦達に噛み付くように問い詰めた。

「あの子は・・・・!ハァハァ・・・・あの子はどうしたッ!!」

怯える看護婦達に痺れを切らし、少女のいた病室の前にやって来て、彼は愕然とした。

・・・・少女の姿は無かった・・・。

冬弥の予感は当たっていたのだ。

少女は強制送還の為、先程の車に乗せられていったのだ。

「もう・・・・彼女はいないんですよ・・・・・。」

その場で膝をつく冬弥の前に、痩せこけた医師が弱々しい声で話しかけてきた。

「・・・・・あの子を乗せた車は志武矢の別の収容所を回った後、

 桐杏国際空港に向かうとの・・・・・事です。」

「・・・・・あああああああああああ!!!!!!!!!!!」

ガンッ!

ピシィッ!

冬弥の拳が叩きつけられたガラスに大きなヒビが刻まれた・・・・・・。

・・・・・ヨロ。

ガシャンッ!

自失呆然になり、ふらつく足取りで死奈河の通りを歩く冬弥。

歩道にあるゴミ箱に足を引っ掛けると、そのままへたりこんだ。

「・・・・・クソ・・・クソォォッ!!」

自分の余りの無力さに耐え切れず、血の滲んだ拳を何度もコンクリートの地面に叩きつけた。

ドォォォン・・・・・・。

― ッ!?

聞き覚えのある嫌な音に、ハッと顔を上げると、コートに入っていた端末から、

非常事態を告げるアラームが鳴り響いた。

志武矢にて大規模なテロ事件が発生。

隊員は武装後速やかに現場に急行せよ。

非番の隊員も緊急に招集する。

特例13番の緊急発動。

「・・・・な・・・!?・・・・・なんだ・・・・これは・・・・!?」

特例13番、冬弥が黒鴉に入隊して初めての発動である。

『やばいって、マジやばいって!』

ふと傍で男性が誰かと携帯端末で会話しているのが視界に入った・・・・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・。

騒然とする死奈河駅前の大型液晶テレビでは番組を変更して臨時ニュースが流れていた。

『現在志武矢で火災が発生し、既に火の手が回り始めています。

 あ!志武矢109が見えます!燃えています!109が炎上しています!』

テレビの向こう側からリポーターの震えた声が聞こえてくる。

見ていた周囲の人間も映し出される志武矢の惨状に凍りついていた。

『信じられねぇ・・・・こんなの初めて見たって・・・・。』

『どうしよう・・・・あたしの友達、今日志武矢に行ってるのに・・・!』


― 「・・・・・あの子を乗せた車は志武矢の別の収容所を回った後、

   桐杏国際空港に向かうとの・・・・・事です。」 ―

ドクン・・・・ドクン・・・・ドクン・・・・。

冬弥の鼓動が波打ち、血が沸騰していく。

彼の胸元のホルスターの漆黒のテスタメントが禍々しい光を放っていた・・・・・。


次回予告

黒龍牙の報復が始まった。

炎上する志武矢の街。

戦後史上最悪のテロに、緊急特別出動を受ける黒鴉と九葉。

死の舞踏会にて、死神より祝福を受けた青年が踊る。

次回、志武矢銃撃戦