Detective Chinguji Tokimeki


Episode7



「モグモグ……んっ……それで……今日は、私に何を教えてもらいたいの?」

 山のように積まれたコンビニ弁当を一通り平らげたところで、その男は、目の前の二人の男に声をかけた。

「ああ、ちょっとなあ……おい、ときめき?」

「んっ……ああ、ちょいと、『秋葉原の地下の王』の異名を取る、バコちんに調べて欲しいことがな……くぅ……」

 二人の男の一人――会長に声をかけられた、もう一人の男――ときめきは、酷く体調の悪いような、青ざめた表情でぼそぼそと呟いていた。

「……うな〜?なんだか、酷く体調悪いみたいだね〜ときめきさん。一週間完全絶食だった私よりシボンヌしてるようだけど?」

 山形だか秋田だか岩手だかよくわからない、北の方言のイントネーションが微妙に入り混じった独特のしゃべり方で呟く、この胡散臭い男の名はタバコ。

 煙草とアングラをこよなく愛する超人。秋葉原の地下世界に君臨し、超人世界の裏を全て知るとまでウワサされる、超人界最地下な地底人だ。

 そんなタバコの問いかけに、ときめきは『ああ、ちょっとな』と、苦しげにうめきながら答えた。

 と、会長が、『やれやれ』と頭を振りながら、鬱陶しそうに呟いた。

「ほんま、このボケが。何日も連続徹夜して、ボロボロの身体だったくせに、いきなり天一の餃子定食なんか食いやがるもんだから、胃がびっくりしてもたれてもうて、それがきっかけになって腸炎は起こすわ、ぎっくり腰にはなるわで……せっかくやる気になった事件の捜査再開するのに一週間もかかったんやからなあ、どうしようもないで」

「じゃかましいわ、ヴォケ!人が苦しくて夜中ずっと呻いてたのに、一人ヴァナって惰眠貪りやがって、この薄情者が!お前、絶対ロクな死に方せえへんぞ!」

「うっさいわ!自業自得なんやから、己のことくらい己でケツ拭けや!」

「あははっ、相変わらずの漫才コンビだねえ」

 いつもの調子で毒舌をぶつけ合うときめきと会長を見ながら、タバコはこれもまたときめきたちからの差し入れである、缶入りの両切りピースを一本咥えて火をつけると、美味そうに紫煙を上げ始めた。

「……ほんま、煙草好きやなあ、バコちん」

「つうか、あけたばっかの缶ピー、なんでもう半分くらいになっとるねん……自分、それ、一本でタール20mlの超ヘヴィなやつやで?……絶対長生きせえへんわ」

 ヘヴィ・スモーカーという言葉でも足りないくらいの勢いで吸い続けているタバコに、ときめきと会長は唖然とした表情で立て続けに呟いた。

「はははっ、別にこれくらいどうってことないって。それに、私、もうタバコって名前じゃなくて、今は草紙って名前で……」

「あ〜っ、はいはい。もうええやんそんなん。大体、自分、美野里やら草紙やらタバコやら、名前ころころ変えすぎなんじゃ。SSの連載もROのキャラも……ほんま、ひとつ事を続けることが出来へん奴やで、しかし」

「うっ……それを言われるとつらいものがあるなあ」

 ときめきに痛いところをすっぱり疲れたタバコは、苦笑を浮かべながら煙草をふかすしか出来なかった。

 やがて、根元まで吸い終えたピースを灰皿でもみ消すと、タバコは『さて』と、ようやく本題を切り出した。

「それで……今日は、私に何を調べろと?宇井ニーのことは、最近あまりやってないから詳しくないよ?」

「ああ、そんなんやないねん……事件の捜査でちょっとな……お前も、葉っぱの趙先生殺人事件のことは聞いとるやろ?」

 『宇井ニー関連の新情報もちょっと聞きたかったんやけどなあ』と、ときめきはひそかに心の中でつぶやいてがっくりしながらも、本題を話した。

「ああ。同じ会社の同僚が殺して、それを悔いて自殺したって奴ね。で、現場から、新しいゲームの企画書が消えたとか……それが、『誰彼2』の企画書だったっていうんだから、なかなか面白いよね」

「へえ〜、盗まれた企画書のことまで知ってたんか。あれは、一般には公開されてない情報やのに……」

「まあ、だからこその地底人やって。そう言う男だからこそ、今日、こうして頼みにしてきたんやからな」

 感心したように肯く会長に一声かけてから、ときめきは改めてタバコに向き直った。

「うな〜……あんまり褒められてるようには感じないねえ〜……で、それがなにか?」

 微妙な表情で呟くタバコに、ときめきもポケットから煙草を取り出して一服してから、話を続けた。

「でだ、俺たちは、その事件を捜査してるんやけど……消えた『誰彼2』の企画書の行方、何か情報流れてないか?」

 ときめきは、期待を込めた視線でタバコに尋ねた。

 事件の捜査を再開するに当たってときめきが立てた方針は、消えた『誰彼2』の企画書の行方を探すことだった。

 今のところ、事件の『裏』を感じさせるものはそれくらいしかない。それの行方を突き止めることによって、超先生殺人事件の全体像も見えてくるのではないかという目論見だった。

 そして、手がかりらしきものが一切無いその捜査をいかに進めるか?ときめきが思いついた唯一の望みこそが、この、超人界の地底部分を統べる情報屋の存在だった。

 タバコならば、きっと、その地下に張り巡らせた広いネットワークで何かを掴んでいるのではないか?

 ときめき、そして会長は、すがるような目でタバコの返答を待った。

「うな〜……そんなに私に期待されても困るんだよねえ〜」

 タバコは苦笑を浮かべながら、またまたピースを咥えて火をつけると、紫煙をゆっくりと吐き出してから呟き始めた。

「正直な話、あの企画書の行方について、詳しい情報は何も入ってきてない……けどねえ」

「けど……なんや?」

 その語尾に含みを感じたときめきは、期待を込めて尋ねた。

「うむ。確実な話じゃないけど、怪しい……と言えるような情報は、いくつかあるんだなあ」

「怪しいって……企画書を盗んだ犯人の情報か?」

「誰や、どこの誰やねん、その犯人は?」

 事件の核心をつく情報が得られそうな予感に、会長とときめきは焦る気持ちをなんとか抑えながら、タバコの言葉を待った。

 タバコは、まるでそんな二人を焦らすかのように、ゆっくりと紫煙を味わいつつ、ゆっくりと答えた。

「葉っぱの一番のライバル会社……あそこに、どうもきな臭い匂いがするんだよねえ〜……」

 タバコの予想外の言葉に、ときめきと会長はきょとんと顔を見合わせた。

「葉っぱのライバル会社って……」

「まさか……あそこか?」

 実名を挙げるまでも無く、二人の脳裏には同じ、とある一つのゲーム会社の名前が浮かんでいた。

 そう。葉っぱのライバルとして上げられるゲーム会社なんて、超人ならば、誰もがたった一つしか思い浮かばないだろう。

 二人の様子を見て、タバコもまた、『その会社だよ』と、肯定するように肯いていた――



                    第三章 抗争



「ここか……」

「ああ。……さすがに、ここも大きいなあ〜。葉っぱ並みやな」

 都内某所。ときめきと会長は、目の前に聳え立つビルを見上げながら、小さく感嘆の声を漏らした。

 先日訪れた、葉っぱの本社ビルと大差ない、立派な作りのビル。

 その入り口に掛けられた看板に刻まれた文字は、『株式会社鍵』という社名。

 鍵……葉っぱと並び称され、某大型掲示板には専用のカテゴリーすら作られている、超人ゲーム会の雄である。

 そして、誰彼2企画書消失事件に関係のありそうな存在としてタバコがその名を上げた、会社だった。
 
「しかし、鍵がわざわざライバルの葉っぱから企画書を盗むような真似するんかいな……俺は信じられへんけどなあ」

 鍵……Kanon、そしてAirと、超人ゲーム界に『泣きゲー』という一ジャンルを築き上げた、伝説の会社の一つ。

 そんな大会社が、わざわざ青色吐息のライバル社の企画書などを、危険を冒してまで狙うものなのだろうか?イマイチ現実感が沸かず、会長は納得していない様子だった。

「まあ……せやなあ。けど、鍵も鍵で、そろそろやばくなっとるみたいやしなあ。何しろ、新作のクリャナドが製作発表以来早数年、未だに発売されてないからなあ……何度も何度も発売日延期で、ファンにも相当愛想つかされてもうてるしなあ……」

「ああ……そう言えば、そうやったなあ〜……ということは、ここも葉っぱ並みに、青色吐息っちゅうことなんかいな……どこも不況やのう」

「ああ。もう、ほんま日本経済しまいやで」

 日経新聞片手の通勤電車内のリーマン同士のような会話を交わしながら、ときめきと会長は、改めてビルを見上げた。

 これから、この中に乗り込んで行って、事件の手がかりがあるかどうか調査しなければならない。

 なかなか骨の折れる作業になりそうだと、ときめきは身震いを感じざるを得なかった。
 と、そんな時、会長が少し不安そうな表情で言った。

「けど、いきなり尋ねて行って、まともに応対なんてしてくれるんかいな。うちら、何の後ろ盾も無い、しがない私立探偵やぞ?」

 会長の言葉通り、ただの情報屋から得た疑惑だけで、一流企業が一介の探偵を相手にまともに応対してくれるとは、到底思えない。

 しかし、ときめきは『それなら心配いらん』と、懐からなにやら手帳を取り出した。

「……そっ、それ!警察手帳やないか!?お前、なんでそんなもんもっとんねん!」

 そう。ときめきが取り出した黒い、金色の紋章が入った手帳は、紛れも無く警察手帳だったのだ。

「実は、お前が今言ったような不安、俺かて気づいてたからな。おじきに相談しておいたんや。で、もう警察の捜査っちゅうことで、会社の方には連絡入れてもろうとる。で、まあ、身分の証も必要だろうって、ちょっと借りて来たっちゅうわけや」

 そう言ってときめきが手帳を開くと、中に張られていた写真はアフロの男――Y2yのものだった。

「へ〜っ……おじきも、随分と危ない橋渡ってくれたんやなあ……そんなん、バレたら速攻クビやないか」

 会長が少し心配そうに眉を潜めて言った。

「ああ。まあ……それだけの危険を冒してでも、事件の真相を明らかにしたいっちゅうこっちゃ……おじきがそこまでやってくれてるんや、俺らも気合入れてやらんといかんな」
「……せやな」

 改めて、自分たちの背中にかかった仲間たちからの期待を感じ、ときめきと会長は軽い武者震いを覚えながら、じっとビルを見つめ続けた。

 なんとしてでも、今回の事件の全てを白日の下に暴いてみせる。二人の決意は、ますます揺るぎ無いものになっていった。

 二人は無言のまま顔を見合わせると、静かに肯きあうと、まるで戦場に乗り込む兵隊のような鬼気迫った表情で、ゆっくりと鍵本社ビルに足を踏み入れていった――



「なるほど……それで、刑事さんたちは、どのようなご用件で当社へ?」

 ときめきが差し出した手帳を一瞥した背広姿の男は、単刀直入に本題を切り出してきた。

 その言葉の端々からは、とても歓迎している様子は感じられず、明らかにこの招かれざる客に対しての迷惑がにじみ出ていた。

 ときめきは、そんな男をじっと見つめながら、どうやって話を運んでいけばいいものかと思案した。

 鍵社内へ入り、二人をこの応接室まで案内してくれた目の前の男の名はD。

 挨拶とともに受け取った名刺を見ると、鍵の広報部の責任者という肩書きが銘打たれている。

 海千山千、マスコミ、その他関係者とのやり取りで鍛えられているのだろう。油断無い表情と雰囲気は、冷徹な知能犯といったイメージが感じられる。騙し騙し、上手く話を聞きだそうとするには一番厄介そうな相手だ。

 横をちらっと見ると、隣に座る会長も、ときめきと同じような印象を感じていたのか、
『どないすんねん?』

 と、伺うようにときめきに目で訴えていた。

(どないする言われてもなあ〜……)

 考えては見るが、目の前のこの人物の裏を書いて情報を聞き出すなんて、とても無理そうな話だ。

 こうなっては仕方が無い。ここは通り一遍の話で済ませ、後々社内の他の人間に、もっと突っ込んだ話を聞くことにしよう。

 そう決めると、ときめきは単刀直入に話を切り出した。

「葉っぱで起こった事件……ご存知ですかね?」

 ときめきの言葉に、Dはすぐに『ええ』と肯いた。

「同じ業界内の会社で起こった事件ですからね。それに、あの事件の犯人……シナリオライターの広瀬氏のことは、実は以前から有能なクリエイターだと目をつけていたんですよ。それなのに、あんなことになってしまって……才能のある方だったのに、なんとも勿体無い話です」

 Dは残念そうに、少しオーバーアクション気味に天を仰ぎながら言った。

「実は……その事件、どうもまだまだ不審なところがありまして、継続して捜査してるんですよ。それで、その現場から消えた、葉っぱの新作の企画書……それについて、ちょっとこちらの会社のお話を伺いたくて今日は訪ねてきたという次第なんですわ」

 間髪入れずに続けたときめきの言葉に、Dは怪訝そうに眉を潜めた。

「企画書……ですか?それで、どうしてうちに?」

 話がまったく見えてこないと言わんばかりに首を傾げて言うDに、ときめきは畳み掛けるように言った。

「盗まれた企画書……それが、こちらにあるという情報が、さる筋から流れてきましてねえ。それで、まあちょっとお話を伺いにノコノコやって来たっちゅうわけです」

 最後まで言い終え、ときめきは相手の反応を伺うように、じっと見つめた。

 唐突のことに、Dは戸惑いを隠せない表情で、少しうろたえているようだった。

「盗まれた企画書……はあ……一体どこからそんな根も葉もない噂が……当社としては、迷惑としか言えませんね」

「というと、こちらさんには、まったく身に覚えのないことと?」

 会長の念押しに、Dは『当たり前でしょう』と、不快感をあらわに肯いた。

「そんなこと、言いがかりもいいところです。うちの会社は、よそから企画を盗まなければいけないほど、アイデアに枯渇しているわけではありませんし、わざわざそんなことをする理由は一切ありません。うちの会社に悪意を持った人間が流した、悪質な噂としか思えませんね」

 まあ、こういう風に返してくるだろうと予想していた通りの嫌悪感あらわのその返答に、ときめきはもっともらしく肯きながら、予め用意していた言葉を口にした。

「けど、それは貴方が把握している範囲での話しで……そう、会社ぐるみじゃなくて、製作関連の人間の誰かが個人的にしでかしたっちゅう可能性までは、否定出来ませんよね?」

 少し意地悪い口調で言ったときめきに、Dはうっと言葉に詰まって歯切れ悪い口調になってしまった。

「まあ……それはそうかもしれませんが……けど、ありえないと思いますがね。そもそも、そんな企画書を盗んで、一体うちに何のメリットが?盗んだところで、それを実際に使ってしまえばすぐにばれてしまうことですし、企画を盗んであちらの会社を妨害するという理由だとしても……正直、もう勢いを失っている葉っぱさんのことは、当社もそれほど意識していませんしねえ……とにかく、無駄だと思いますけど?」

「まあ、無駄とわかっていても、一つ一つ念入りに調べていくのが、うちらの死事ですからねえ〜。協力してもらえませんか?」

 あからさまに迷惑そうなDに、ときめきはそう言って更に強く頼み込んだ。

 今、Dが言ったようなことは百も承知。それでも、何らかの手がかりが得られるかもしれないというわずかな希望がある限り、それをおろそかにすることなど出来はしない。

 なんとしても社内での聞き込みを許可してもらい、何か収穫を得なくては。

 脅迫感にも似た切羽詰る思いを抱いたときめきは、とにかく執拗に食い下がった。

 しかし、Dは迷惑そうな表情で、首を横に振るだけだった。

「しかし……うちにも通常業務がありますし……なにより、今は予定より開発が遅れている新作ソフトの仕上げ作業で、開発部から広報まで大忙しの時期でして、無駄な時間は一切……」

 そう言うと、Dは『話はこれでおしまいです』と言わんばかりに、なおも食い下がろうとするときめきと会長を制して、席を立とうとし始めた。

 このまま話を流されるわけにはいかない!と、ときめきが慌てて引きとめようとしたときだった。

「Dさん、その刑事さんたちの要求は、受け入れた方が得策だと思いますね」

「「えっ?」」

 突然部屋の扉が開き、それと共に部屋に響いた声に、ときめきと会長はすぐにその方を振り返った。

 そこに立っていたのは、黒いスーツ姿がビシッと決まった、けど、顔は純朴な青年といった風の一人の男だった。

 そのきちんとした身なりに違和感を与えているのは、腰に巻かれたライダー変身ベルト。

『超人やな』

 二人は、それだけでその男もまた、自分たちと同じ業深き人種なのだろうと悟った。

「VX先生……しかし」

 Dはその人物が何者なのか知っているらしく、眉を潜めて呼びかけていた。

 先生と呼ばれるこの男は何者なのか?ときめきと会長は、伺うように男を見つめた。

 と、その視線に気づいた男が、懐からカードデッキらしいものを取り出して、それを掲げて二人の目の前に突きつけた。

「おっと、紹介が遅れましたね。Vicross=2。鍵の専属弁護士をやっているものです」

 ときめきたちの目の前に突きつけられたカードデッキに入っている名刺にも、確かに『弁護士』という肩書きが明記されている。

 どうやら世にも珍しい、『超人弁護士』なのだろう。

『遂に、超人が弁護士になる時代が来たか〜』

こんな時だが、ときめきと会長は、なにやらしみじみとした気分になってしまった。

 ときめきたちがそんなことを思っている間にも、DはVXに、不満げに抗議していた。

「しかし先生!今、開発部は大忙しですし、こんな何の意味も無い捜査に付き合っている余裕などないんですよ!それに、こんなことが内部に広がると、動揺が走って、悪い影響が……」

「うん。まあ、そう言う考え方もありますが……ここでごねて、警察の方々の印象を悪くするのも、あまり得策ではありませんよ?どちらにしても、ここに警察の捜査がやってきたということは、既に社内に広まってしまっているんです。今更、事情聴取を断ったところで、社内が動揺する云々はあまり関係ないでしょうし、むしろ、ここでうやむやに断ってしまうと、ますます不安感を募らせる結果になりかねません。それよりも、ここはきっちりと警察の方々に満足行くまで捜査してもらって、何も後に残さずにすっきりさせた方が得策ですよ」

 すぱっと一刀両断で言い切ったVXの言葉に、Dも言葉に詰まって、それ以上は何も言えなくなってしまった。

 思わぬ助け舟に、ときめきと会長は顔を見合わせ、ほっと安堵のため息をついた。

 しばし沈黙していたDは、やがて深いため息と共に顔を上げて呟いた。

「……仕方ありませんね。まあ、先生がそうおっしゃるのでしたら……」

 折れたDの言葉に、ときめきと会長は声には出さなかったものの表情に『しめた!』とあからさまに嬉しそうな笑みを浮かべた。
 
 そんな二人に、VXがクールな表情で声をかけた。

「それでは、刑事さん方、そういうことですので。出来る限りスマートに、迅速にお願いします。当社にとって、業務に影響が出て不利益なことであるのには間違いありませんので。あくまで、今日限りということでお願いしますよ」

 念を押すように言うVXの言葉にうなずきながら、ときめきは立ち上がり、手を伸ばして握手を求めた。

「了解です。おおきに、協力して頂いて」

 VXは、そんなときめきの言葉にクールな笑みを浮かべながら、手を差し出して答えた。

「なに、私はただ、鍵の顧問弁護士として、もっとも会社に被害の少ない方法を提示したまでです」

 とことんクールに言い切るVXの様子に、ときめきと会長は、『ハードボイルドな弁護士やなあ』と、ちょっと感心した気持ちになっていた。

 と、そんなときだった。

「先生、素敵です」

 扉の向こうから、一人の男がいきなり現れてそう声をかけた。

 その男をY2yと弥生が見たら驚いたことだろう。なぜなら彼は、先日、Y2yの悪魔の口車に乗せられて崖からダイブした蟹刑事、GY!その人だったのだから。

 VXはその声に振り返ると、怪しい笑みを浮かべて肯いた。

「うん。まあ、こんなところだよ、GY!ちゃん」

「はい。先生のいつもながら見事なお手際、素晴らしいです」

「ふふっ、まあ、君が僕の秘書としてよく尽くしてくれているからね……。君が警察を辞めて、僕の秘書になってくれて本当に良かったよ」

「そんな……僕の方こそ、崖からのダイブで命からがら助かって、警察の恐ろしさに絶望して流浪の身になっていたところを先生に拾っていただいて、感謝の言葉もないというか……」

「まあ、お互い様ということだね。……さ、仕事もはねたことだ。行こうじゃないか、GY!ちゃん」

「えっ、行こうってどこに……」

「決まってるじゃないか……だよ」

「ちょ、先生……もう〜……」

「ふふっ、GY!ちゃんだって、悪い気はしていないだろう?」

「!?しっ、知りません!」

 いきなり目の前で始まった、『サブ』というか『薔薇族』な空気ぷんぷん漂う光景に、ときめきと会長、そしてDまでもが絶句して固まるしかなかった。

 そんな中、VXとGY!は、薔薇色の空気を放ちながら、その場を立ち去って行ってしまった。

 どこへ立ち去ったのか?それは、その場に残された三人の誰もが、最も知りたくないことだった。

「えっと……とりあえず……その……聞き込み開始していいですか?」

 今の悪夢を忘れて、現実を取り戻すためにと、なんとか喉の奥から声を振り絞ったときめきの言葉に、Dは『はい』と小さく肯くしか出来なかった――



 ――それから一時間程。ときめきと会長は、Dの先導で社内を回り、人々から事情聴取を続けていた。

 営業、広報、総務などなど回ってみたが、そこでは特にこれといった情報は一切得られなかった。

 そして二人は、いよいよ本命とも言える、開発部へやって来ていた――

「そういわれても……マジで、そんな話、聞いたこともないですからねえ」

 今まで回ってきた中で何回も聞いたお決まりの台詞に、ときめきと会長はがっくりと肩を落とした。

「……まあ、正直な話、やっぱり『葉鍵』って世間から一括りで言われてることもあって、うちの会社、あちらさんのことはかなり意識してるんですが、そんなうちの会社内でも、葉っぱがまさか『誰彼2』を極秘制作していたなんてウワサ、まったく入って来ませんでしたからねえ」

 落ち込むときめきたちの様子に、少し申し訳なさそうに答えているのは、まるで人間山脈か!?と言いたいほどに背の高い男。

 CG製作部門の責任者、たつごんだった。

「そうでっか……」

 会長はたつごんの言葉に、思いっきり見上げながら、沈んだ声で答えた。

「盗まれた企画書についても、少しも聞いてない?……そうか〜……ふ〜っ……まいったなあ」

 まったくの収穫0に、ときめきもさすがにがっくりと肩を落としながらうな垂れた。

「すいませんね、何にもお役に立てなくて……」

 あまりに落ち込むときめきの様子に、たつごんは気遣うように声をかけた。

「んっ……ああ、いや、別に君のせいやないしなあ……しっかし、自分、背高いな、ほんま。見上げるのに首が痛いで」

 沈みかけている空気を変えようと、ときめきが少し冗談めかしてそんなことを言った。

 ときめきの言葉通り、お世辞にも背が高いほうといえないときめきは、相当見上げないとたつごんの顔を見ることは出来ない。それくらいの身長差があった。

 ときめきの言葉に、たつごんは苦笑いを浮かべながら言った。

「そんな言うほどでかくないですよ〜。というか、二人とも酷いですよね、俺をみて第一声がいきなり、『アンドレ!?』と『ビッグ・ショー!?』ですもんねえ。ちょっとへこみましたよ〜」

「あははっ、まあ、なんちゅうかインパクトがな」

「そうやなあ。まあ、堪忍や。俺が口悪いのは、元々、このヴォケの責任やし」

「おい、ちょっとまてや!何でもかんでも人のせいにするなや!」

「じゃかましい!元々俺は育ちの良かったんじゃ!それが、お前みたいなチンピラの悪影響でこのざまなんじゃ!」

「うっさいわ!お前のどこが『育ちいい』面なんじゃ!鏡見てから言えや!」

「あっ、あの……?」

 いきなり始まった、ときめきと会長の、いつもの過激なコミュニケーションに、たつごんはどうしたものかとおろおろし始めてしまった。

 と、そんな時、今まで黙って見守っていたDが、ため息をついて口を挟んだ。

「それで……刑事さん方、もう事情聴取はこの程度でよろしいんでしょうか?他に特に何もないのなら、お早めにお引取り願いたいんですがねえ……」

「えっ?あっ……」

「あっと……」

 『さっさと帰ってくれ』という思いを目にあらわにして言うDに、ときめきと会長は口論を止め、どうしようと顔を見合わせた。

一通り社内を回って話を聞いてみたものの、事件の手がかりになりそうな情報はまだ一切聞けていない。

やはり、タバコの情報は、ただのデマに過ぎないものだったのだろうか?いや、しかし、今まで彼から得てきた情報の信頼性を思うと、どうしてもただのデマであると言い切ることが、ときめきにはどうしても出来なかった。

このまま、何も聞くことが出来ずに戻ることなど出来ない。せめて、何か手がかりの糸口になるようなものの一つでも見つけて帰らねば。

しかし、どうする?もう社内はあらかた聞きまわったし、他に見逃しているところが……

考えていたときめきの脳裏に、唐突に一つのアイデアがひらめいた。

「社長……」

「えっ?」

 ときめきの小声の呟きに、Dが聞き取れず眉を潜めて声を上げた。

 そんなDを見据え、ときめきは、今度ははっきりとした声で、自分が思いついたことを告げた。

「まだ、あと一人。こちらの社長さんにもお話を伺いたいですな」

 そう。肝心な、会社の首脳である社長への事情聴取がまだだった。

 もし、この事件が鍵会社そのものが関連しているとするならば、社長がそれにかかわっていないわけがない。事情聴取の対象として、決して外すことの出来ない一人だろう。

 果たしてこの要求に、そうでなくても事情聴取に乗り気でなかったDがどんな反応を見せるか?ときめきはそれも見逃すまいと、じっと冷静なまなざしで反応を待った。

 Dの反応は、そんなときめきが予想していたものとは、かなりはずれたものだった。

「しゃっ……社長ですか……社長は……その……この時間は……いや、この時間だけじゃないですけど。あははははっ」

「そっ、そうっすよねえ。あっ……はははっ。あの、刑事さん、社長はあんまり関係ないと思うんで、その出来れば見ないでお帰りになった方が、刑事さんたちのためといいますかなんというか……」

 なんだろう。Dだけでなく、たつごんまでも、乾いた笑みを浮かべて、力ない声で言う言葉に、ときめきと会長はなんだかデジャヴのような思いを感じていた。

 社長という言葉と、この反応……これと似たようなことがあったような……そう、つい一ヶ月ほど前……葉っぱの会社で!

 思考がそこにたどり着いた途端思い出す。あの日のあの悪夢を。

 社長室で、萌えキャラ抱き枕を抱きしめて狂乱していた社長の姿。

「まさか……」

「……そうなんかいな?」

 ときめきと会長は顔を見合わせ、自分たちの予想を確かめ合うかのように呟きあった。

 まさか……ここの社長も、ああいう『超人』なのだろうか?

 ときめきたちは、伺うように、改めてDとたつごんを見つめた。

 二人は言葉を発さず、ただ乾いた笑みを浮かべるだけ。

 しかし、無言のそれが、二人には予想が的を得ているという裏づけに思えてしょうがなかった――



「……本当に……会われるんですね」

「……ああ。会わないと、話が進まんしな……」

「どうなっても……責任は取れませんよ」

「……覚悟の上や」

 ビルの最上階に位置する社長室の前。青ざめた表情で最後の確認をとるたつごんとDに、会長とときめきも緊張の面持ちで、ゆっくりと肯いた。

 目の前の閉ざされた扉は、極普通の木の扉。しかし、その向こうからは、早くも異様な空気がひしひしと感じられる。間違いなく、この扉の向こうには、常人には耐えられない魔空間が広がっているはずだ。

 ……帰りたい。帰って、何事もなかったかのようにリアル・ワールドに接続しリンク・シェルの仲間達とキャノンボールレースでもやりながら、楽しく騒ぎたい。

 そんな切実な欲求を懸命に押し殺し、ときめきは、ここまで何度も考え直すように引きとめながらも案内してくれたDとたつごんを、『後ろに下がってろ』と言うように手で制しながら、ゆっくりと扉に手を掛けた。

「……き!……き!……っ!」

 閉ざされた扉の奥からかすかに聞こえてくる声。その上擦った声に、ときめきの中の悪寒はますます高まる。

 駄目だ……これは駄目だ。この扉は決して開けてはならない。この中の光景は、人が見て正気を保てるような生温いものじゃない。

 ときめきは、そんな確信にも似た気持ちを感じつつ、ノブを掴んだまま、ガタガタと震え始めた。

「と、ときめき……大丈夫か?」

 恐怖をあらわにするときめきの様子に、会長もさすがに真っ青になりながら、震える声で言った。

「あの……やっぱりやめた方がいいっすよ」

「何かあっても……当社では、責任は一切取れませんよ?」

 最後の確認をするように静かな声で伺うたつごんとDに、ときめきは震えを抑えながらも静かに肯いた。

 ここまで来て引くことなど出来ない。なんとしても、この中に居るはずの社長からも話を聞き、今回の事件の解決の糸口でも掴まなくては……

 そう。恐れている場合などではない!

 ときめきは深く息をつくと、覚悟を決め、一気に扉を開けた。

「失礼します。警察のものですが、お話を伺いに……」

 扉を開けると同時にそこまで口走ったときめきは、中の光景をみて絶句した。

 一体、これは何だ?今、自分がみているものは何なのだ!?

 ほんのコンマ数秒の硬直の後、ときめきは物凄い勢いで、バタンッ!と扉を閉ざした。

 そのまま、扉にもたれかかってずるずるとその場に尻餅をついてしまった。

 ちらっと横を見ると、同じように部屋の中を目撃した会長もまた、まるで最終回のカミ−ユのような放心しら表情で呆然としていた。

 何だったんだ、今、自分が見たものは!

 社長室の中。部屋の中央に引かれた布団。その上でもつれ合う二人……いや、正確には一人と一体。

 全裸で、荒々しい息を切らしながら上にのしかかっていた男が、おそらく鍵の社長、水瀬亮なのだろう。

 その下に組み敷かれていた青髪の少女……いや、人間ではなかった。限りなくそれに近い大きさ、質感ではあったが……あれは、良くH雑誌の広告に載っていたりする、最新鋭の『そっち』系の『人形』だろうと思う。そして、その外見はどこかで見たことがあった……そう、あれは鍵の代表作である、Kanonのヒロインの一人、水瀬名雪の姿だった。

そんな細かいところまで、あの一瞬でよくわかってしまったものだと自分でも不思議だ。

おそらく、あまりのインパクトの強さに、その光景が一瞬で脳裏に焼きついてしまったからだろう。

 だって……あんな光景ありえない!

『名雪……名雪!好きだ……好きだよ!……うっ!ああっ……まっ……また……!』

 そんなことを叫びながら、名雪『人形』を組み敷き、一心に腰を振る水瀬の姿。

「まさか……あんなことが現実に……」

 自分の想像の限界を上回る生き恥に、ときめきはただ恐怖で震えるしかなかった。

 そんな彼らに追い討ちをかけるかのように、扉の向こうから絶叫が轟く。

『ああっ!また!中に……中に〜!名雪〜!俺の子供を身ごもってくれ〜!』

「なっ……何を叫んどるんじゃ〜!」

 ときめきは、上擦ってひっくり返った声で悲鳴を上げるしかなかった。

 と、そんな時、隣で硬直していた会長に異変が起こった。

「うわっ……あははっ……あーっ!」

「かっ、会長!?」

 突然、地獄を目の当たりにしたかのような悲鳴を上げると、会長は発狂したかのように飛んだ目になってその場にうずくまってしまった。

「かっ、会長!しっかりするんや!」

「ありえへん……こんなの現実にありえへん……鬱や……鬱すぎる……ヴァナ……そう、ヴァナだけが……俺たちのホーリーランドだけが真実なんや……せや……早くヴァナに戻らんと……アンリさんと、砂丘警備隊の仕事せえへんといかんし……」

 ときめきの呼びかけにも、会長は呆けた表情でそんなことを呟き続けるだけで、一切反応を示すことはなかった。

 想像の限界を超える生き恥が、彼の神経を壊してしまったのだろうか?

「だから……だから、俺はあれだけとめたのに……」

「また、社長の犠牲者が一人……」

 そんな会長の姿を、たつごんとDは『やっぱり』という暗い表情で見つめながら、口々に呟いた。

「またって、他にもこんなんなった奴がおるんかい!……っていうか、なんであんなのが社長やねん!どう考えてもおかしいやろ!?」

 とりあえず自分の想像を超える事態に、逆ギレするしかないときめきは、ヒステリックに叫びながら食って掛かった。

「いや……どういういきさつかはよくわからないんですが……彼が、会社の株の90%を一人で握ってまして……」

「そんなわけで、誰も逆らえない、ワンマン社長だというわけなんです……ここだけの話、クリャナドの発売が遅れてるのも……社長が、『名雪の出ないゲームの存在など認めない!』と、開発陣に必要に名雪を登場させることを強要し続けているせいで……」

ときめきの問いかけに、たつごんとDは、無念さを顔いっぱいに表しながら、沈んだ声で説明した。

その様子からは、同じDQN社長を持つ葉っぱの社員たちからも感じた絶望感がひしひしと伝わった。どうやら、葉っぱだけじゃなく、鍵も『もうだめぽ』の領域に達しているようだなと、ときめきは悟った。
 
「ヴァナへ……早くヴァナへ……」

「会長!頼むからしっかりしてくれや〜!ああっ、もういったいなんやねん!」

 うわ言のように呟き続ける会長に、ときめきは必死に呼びかけ続けた。

 最早、事情聴取のことなど頭から吹き飛んでしまっている。自分たちが遭遇した、この狂気の生き恥に対するやり所のない怒りがときめきの中で渦巻き、ただ叫ぶしかなかった。

 その光景は、さながら野戦病院の如く悲惨なものであった。

 ……しかし、地獄はまだこれだけでは終わらなかった。

 更なる『悪夢』が、この場に近づいているとは、さすがのときめきも予想すら出来なかった。

「しゃっ、社長、やめてください!帰りましょうよ!」

「そうっすよ!いくらなんでも不味いですって!」

「落ち着いてください!」

「やかましい!私の可愛い理緒と誰彼2を取り返すまでは戻れるかーっ!」

「ちょ、貴方たちは一体何なんですか……ぎゃーっ!」

 廊下の彼方から、どこかで聞いたような声と共に、賑やかな集団が近づいてきていた。

「え……っ……!」

 やがて姿を現した一団を見て、もうときめきは絶句するしかなかった。

 悲痛な表情で叫びながら、ノシノシと廊下を突き進む男を止めようとしているのは、見たことのある顔ぶれ。

 葉っぱの社員である、北風、フリル、姫だった。

 そして、しがみつくように引き止める三人、そして悲痛な声を上げて止めようとする鍵の警備員たちをなぎ倒しながら、まるでゴジラかキングギドラかという迫力で社長室の方へと進んでくるのは一人の男。

 新聞配達員のような格好で、大量の新聞を肩から下げ、手には丸めた新聞を剣のように掲げて持つ、触角かつらを被った、狂気の男。

 先日、生き恥地獄を見せてくれた、もう一人のDQN社長、葉っぱ社長、ゼルク=マクストルその人だった。

 何で葉っぱの社長がここに?ときめきが呆然としている中、ゼルクはどんどんと突き進むと、社長室の扉を強引に叩き開けた。

「こら!根暗性悪女狂いのキチガイ野郎、出てきやがれ!」

「むっ……おっ、お前はゴキブリ狂いのゼルクじゃないか!何しに来やがったこら!」

 丁度、『事』が済んだところだったのだろう。服を着て、片づけをし始めていた水瀬は、いきなりの闖入者に、ギロッと目を剥いて叫んだ。

「はぁ?誰がゴキブリ狂いだと?どういうことだ、この膣内射精狂いめ!責任取れんのか、ああ〜!?」

「やかましい!そんなゴキブリ触覚つけた女に狂ってる人間にはお似合いのあだ名じゃねえか!それより、根暗性悪女たあどういうことだ!?ああっ!俺の最愛の名雪のことじゃねえだろうな!」

「それ以外に誰がいるっていうんだ?七年も前の些細なことを何時までも根に持ってグタグタ言ってる女にはお似合いだろうが!悪趣味にもほどがあるぜ、こら!」

「じゃかましい!KanonSSリンクじゃ一番SSあるんだぞ!そっちはどうだ?隠しキャラってことで期待煽っておきながら、いざ出てきたら触角で、ユーザーがいっせいに『はぁ?』ってどっちらけてただろうが!」

「うるさい!低脳には理緒たんのよさはわからねえんだ!」

「同じよ!お前ごときに、俺の最愛の名雪の良さがわかってたまるかボケ!」

 聞くのも痛々しいレベルの罵り合いを始めた二人を止める気にもなれず、一同は呆然とその行方を見守っていた。

「いっ、一体何事なんっすか?これは、どういうことです?」
 
 かろうじて声を出せたたつごんが、呆然とする葉っぱ社員たちに問いかけた。

「そっ、それが、自分にもよくわからないんですけど、いきなり社長が、今から鍵にカチコミに行くって言い出して……ずっと止めようとしたんっすけど……」

「あっ、俺知ってます!なんか、今日、社長宛に匿名の手紙が来て、それに『誰彼2の企画書を盗んだのは鍵の社長の水瀬だ』とか書いてあったそうで」

「はぁ?なんじゃそりゃ?」

 戸惑う北風に続いて、慌てて説明したフリルの言葉に、ときめきは思わず叫んだ。

 自分がタバコから聞き出した『ウワサ』を、何者かがゼルクの耳に入れたということか?一体、誰が何のために……

 思案するときめきを妨害するかのように、ゼルクと水瀬の抗争は激化していた。

「うお〜!理緒を侮辱するんじゃねーっ!いいから、とっとと人のところから盗んだ、今世紀最高傑作誰彼2の企画書返しやがれ!」

「はぁ?何を訳のわからない言いがかりつけやがる!お前のところのゴミゲーの企画書なんて、うちがわざわざ盗むわけないだろ〜!誰彼2?お前、自分から進んで会社潰すつもりかってんだ!うちはな、クリャナドって大作が控えてるんだ!」

「うるさい!予定は未定の永遠の延期作品のどこが大作だ!絵に描いた餅でいばってんじゃねえぞ!」

「何を〜!ええい、もうてめえと話してる時間なんてない!俺と名雪のピロートークの時間をこれ以上無駄にしてたまるかー!死ね、七年の思いパーンチ!」

「じゃかましい!俺と理緒の魂の怒りを思い知れ〜!新聞ブレイド!ボーリングバッシュ!」

 ドグァ!バキッ!

 遂に生き恥全開の肉弾戦を始めた二人に、見守っていた一同はさすがに色めきたった。

「たっ、大変だ〜!」

「しゃっ、社長!やめてください!」

「だっ、誰か止めろ〜!」

 真っ青な顔で叫びながらも、誰一人怖がって近づこうとしない北風、フリル、そしてたつごん。

 そんな時、隣の会議室の扉ががちゃっと開き、そこから二人の男が姿を現した。

「一体何事ですか?」

「先生、ジッパーが下がったままです」

「あっ……失礼」

 そこから出てきたのは、顧問弁護士VXと、その秘書のGY!。なぜ、二人揃って上気した顔で服装が乱れているのかは、誰も絶対に突っ込みたくないことだった。

「せっ、先生、あれを!」

 とにかく、今はやおいコンビにどうこう言うよりも、あの生き恥アルマゲドンをどうにかしないとと、たつごんが慌てて戦う二人を指差して叫んだ。

「何!?あっ、あれは一体どういうことなんだね?エンド・オブ・真人間!?」

 さすがのVXも、目の前で、互いの萌えキャラを罵り合いながら殴り合いを続ける水瀬とゼルクの姿に、ガタガタと震えるしかなかった。

「せっ、先生……怖い」

 ぎゅっとVXの影に隠れながら、寄り添い震えるGY!の姿に、一同はこんな時ながら『ォェァ』な気分を隠し切れなかった。

 震えるGY!を安心させるようにぎゅっと抱きしめながら、VXは思いついたように叫んだ。

「そっ、そうだ!こんなときこそ、警察だよ!刑事さん、早くお願いします!」

 思いついたVXは、ときめきと会長を振り返って叫んだ。

 ……ところが。

「……あれ?刑事さんたち?」

「えっ?今さっきまでそこに居たのに……」

「どっ、どこに行ったんですか〜!」

 さっきまでそこに居たはずのときめきと会長の姿は、何時の間には煙のように消え去ってしまっていたのだった――


「……ふ〜っ、危なかったなあ」

 ビルから飛び出して少し離れたところで、ときめきはようやく安心したようにため息をついた。

「せやな……まあ、間一髪か」

 生き恥オーラから離れ、ようやく少し正気を取り戻した会長も、同じように深くため息をついてから呟いた。

 あの状況になり、このままだときっと警察と触れ込んでいる自分たちに騒動を治めるお鉢が回って来て、下手すると偽刑事だという事実が暴露してしまうかもしれないという危険を感じたときめき達は、わずかな隙をついて咄嗟に逃げ出したのだった。

「俺たちが偽者だってばれたら、おじ鬼達にも迷惑かかるからなあ……ほんま、危なかったで」

「せやなあ……それにしても、あの生き恥バトル、どないなったかな?」

 落ち着いたところで、会長が少し気がかりそうに呟いた。

「まあ、どうなるんかな……あのままだと危ないし、ここは本物のおじ鬼に電話して来てもらうか?」

 そう言うや否や、ときめきは携帯を取り出しておじ鬼へと電話を掛けた――



 プルルッ……プルルルッ……

 ポケットで鳴る携帯の音に、当人のY2yも、周りにいる三人も、まったく反応を示さなかった。

 Y2yを含めた四人の視線は、向かいのビルの窓。生き恥バトルが繰り広げられている風景に釘付けになっていた。

 鍵本社ビルの対岸に立つ四人――蛇口付きパンツを頭に被って腰に履き、身体は闘魂ガウンで覆ったY2yこと、マスク・ド・ジャグチー。

 全身を義妹ステッカーで覆った、弥生ことマスク・ド・シスコン。

 そして、先日、葉っぱビルで大暴れした二人のマスクマン――マスク・ド・神父とマスク・ド・民兵。

 ときめき達が鍵のビルに乗り込むと聞き、その護衛として見守りつつ、美味しい場面で乱入しませんか?という神父の誘いに、ほいほい乗ってここで一部始終を見守っていた、どっきり大好きな乗りやすい一同は、目の前で繰り広げられていた想像を絶する生き恥の連続に、髪の毛が真っ白になるような恐怖を覚えながら立ちすくむしかなかった。

 口の中がカラカラに渇き、言葉を発することも出来ない。まさか、ここまで圧倒的な生き恥がこの世に存在するなんて……

 ようやく息をついた後、四人は顔を見合わせ、一斉に一言呟いた。

「「「「敗北を知った」」」」

 ……四人の超人マスクマンたちは、その後、『俺たちの時代は終わりましたね』『俺たちがあの年代のときは、まだまだ全然だったよな』などと口々に言い合いながら、肩を落として帰路についたのだった――



 ――翌日。ときめきと会長は、Y2yと弥生を呼び出して、Bar『Star origin』へと向かっていた。

「いや、しかし昨日はほんま参ったで〜。結局、あの後、社長たち二人とも逮捕されたんやってなあ」

 昨日の生き恥無限地獄を思い出しながらため息をついたときめきに、Y2yも強張った表情で『ああ』と肯いた。

「お互いに、血まみれになるまで大闘争続けてたらしいからなあ……割って入った警官も、二桁単位でまき沿い食らったらしいし……まさに地獄絵図だったらしいぞ……ふぅ」

「本当に、なんま怖ですよねえ〜。……はぁ」

 昨日はショックで、星元と雷星とあのまま四人で飲んだくれていたために、その大捕り物には参加していなかったY2yと弥生は、その光景を想像しつつ、深い深いため息をついた。

「これで……葉っぱと鍵はどうなるかなあ……社長が揃ってタイーホとなると、対面的にあれやろうしなあ……業績も悪化しとるし……もう、あかんかもなあ」

 会長が、少し残念そうな調子で呟いた。

 いくらDQNとは言え、会社を象徴する立場にある社長が揃って逮捕となっては、イメージの悪化は避けられない。

 そうでなくても二社とも、最近の業績悪化は著しく、新作発売のめども立っていない。これでは、立ち直るのはかなり難しいだろうというのは、素人にでもわかることだった。

「まあ……倒産は、そう遠くない日かもしれんな……」

 今、自分が懸命にその身の潔白を晴らそうと頑張っている広瀬凌が所属し、愛していただろう葉っぱが倒産する……そのことに、ときめきは重苦しい気持ちを感じざるを得なかったが、こればかりは一介の私立探偵でしかない自分に何か出来るわけでもない。

 無力さを感じながらも、今は、本来の目的である事件解決に全力を尽くそうと、ときめきは気持ちを切り替えてからY2yに向き直った。

「それでおじ鬼、うさ君の家の話やけど……」

「ああ。それだけど……特に、事件に関係ありそうなものは見つかってないんだよなあ〜」

 Y2yは答えながら、手帳を取り出して、そこに書き移してある情報を調べ始めた。

 ときめきがY2yを呼び出して尋ねたのは、結局調べる機会に恵まれなかった、広瀬凌の家の家宅調査の結果だった。

 社長同士の抗争もあり、ろくな鍵での事情聴取で収穫が得られなかった今、少しでも手がかりが得られそうなことをもう一度調べなおそうと思ったとき、真っ先に思い浮かんだことがそれだったのだ。

 Y2yは、ときめきの期待の眼差しの中、手帳に書かれている情報を見直し、『そう言えば』と、思いついたように顔を上げた。

「一つだけ、ちょっとひっかかるものがあったんだった……」

 そう呟くと、Y2yは何故だか暗く、少し怒りをその表情に浮かべた。

「うん?どんなことや?」

 ときめきは、急にそんな表情になったY2yの変化に怪訝そうにしながらも、とりあえず収穫が得られそうな雰囲気に、期待を込めた声で尋ねた。

 Y2yは歩を止め、大きくため息をついてから答えた。

「女……だよ」

「……はぁ?」

 女。超人生を送るものにとってはもっとも縁遠いその言葉に、ときめきは思わず間抜けな声で聞き返してしまった。

 そんなときめきに、Y2yは複雑な思いを込めたため息を吐き出しながら言葉を続けた。

「ああ、なんというか……うさ君の部屋に、女物の服とか化粧品とかがかなりあったんだ……近所の人から聞いた話だと、同棲してた……ってわけじゃないみたいだけど、やっぱりちょくちょく女が出入りしてたらしい」

「へえ〜……あのうさ君がねえ〜」

 ときめきは、『しーぽんマンセー!初佳さんハァハァ!アルクェイド萌え〜!』と、とても三次元の女性に対して興味があるとは思えない発言を繰り返していた広瀬凌のことを思い出しながら、意外そうに呟いた。

 そして一瞬考えた後、ふと思いついたように言った。

「その相手の女って、もしかして葉っぱの秘書課の姫さんやないんか?なんか、うさ君と特別仲良かったみたいやし」

 そんなときめきの思い付きを、Y2yは『いや』と首を横に振って否定した。

「部屋にあった服、サイズがかなり大きかったんだ。そうだな……女性にしちゃ本当に大きなサイズで、ちょうどうさ君と同じくらいの背の高さかな?あの姫さんは、もっと小柄だろ?」

 Y2yに言われて改めて思い返してみると、確かに姫は、広瀬に比べれば随分小柄な体格だ。

「へえ〜……じゃあ、せめてその相手の写真とかは部屋になかったんですか?」

 会長が思いつき、横から口を挟んで尋ねた。

「いや。それが部屋に一枚もなかったんだよ。アルバムもなかったし……PCの中に取り込んであるわけでもなかったし……おかしいよな、普通、恋人の写真の一枚くらい、部屋に飾っていそうなものだけど」

 ずっと疑問に思っていたのか、Y2yは顎に手をあてて俯きながら、考え込み始めてしまった。

「なんか、裏がありそうな感じしますよね〜」

 同じような疑問を感じているのか、弥生も同調して言った。

「せやなあ……その辺も、後々少し当たってみるか……」

 ときめきが同じように肯いたとき、四人は丁度目的地である『Star origin』の前にたどり着いた。

「まっ、それはまた後での話や。とりあえず、今夜は気分転換でゆっくり飲もうで」

 気持ちを切り替えて一堂を振り返って言うときめきの言葉に、他の三人もそれに賛成するように肯いた。

 今夜は、四人揃って、『捜査続きで疲れているでしょうし、一晩くらいゆっくりどうです?』という星元に呼び出されてここを訪れたのだが、なにやら『サプライズ』が待っているらしい。

 どっきり大好きの星元の考えるサプライズとは一体なんなのか?四人は、『また誰かが抱き枕とケコ−ンさせられるのかなあ』などと、いかにもありそうな予想をしながら、ゆっくりと扉に手をかけた。

「いらっしゃいませ〜」

 扉を開けた途端、掛けられた声に、四人は呆然と凍り付いてしまった。

「いらっしゃいませ♪お客様、四名様ですか?カウンター席でよろしいでしょうか?」

 カウンターの中から、にこやかに声をかけるのは、大柄で少しハスキーな声ながらも、なかなか愛嬌のある顔をした一人の女性――そう、超人Barであるこの『Star origin』には決しているはずのない女性だったのだ。

「なっ……な……」

 なんでこの店に女性が?ありえへん!

 呆然と入り口で固まっている四人に、カウンター席から声がかかった。

「やあ、皆さん〜!そんなところに立ってないで、こっちで飲みましょうよ!女性にお酌してもらいながら飲む酒は、また格別ですよ」

 そう言って、冷酒の入ったコップを掲げながら上機嫌で言うのは、雷星だった。

「「「「あんたはいつも、彼女にお酌してもらってるだろうが!」」」」

 四人の嫉妬に狂った怒声が間髪入れずに店内に響いた。

「きゃっ、怖い……」

 カウンターの中の大柄な女性は、さすがにそれに怯えたのか、小さな声で悲鳴を上げた。

「あっ、ごっ、ごめん!いや、ちょっとそこの超師匠がはねたこというもんやから……」

 基本的に女性に優しいときめきが、慌ててそうフォローの言葉をかけていると、店の奥からようやくマスターの星元が姿を現した。

「おやおや、なんですか〜。いきなりうちの新人を苛めないでくださいよ、みなさん」

 とがめるように言いながらも、星元のその表情は、気持ち悪いくらいにニタニタしていた。

「あっ、すいません……って、ゴッド!これは一体どういうことなんっすか?なんでこの店に女の子がいるんです!?まさか、どっからかさらって来たんやないでしょうね?」

「ゴッド……いくら友人でも、誘拐は見過ごせないですよ……」

 ときめきとY2yが、立て続けにとがめる口調で声をかける。

 見守る会長と弥生の目にも、不信感がありありと浮かんでいた。

 そんな四人の声に、星元は慌てて言い返した。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!さらってくるわけないでしょうが!この子は今日、うちが出してた求人を見て、うちでアルバイトしてくれることになった子ですよ!」

 星元は、この数ヶ月、店頭に張りっぱなしになっていたボロボロの求人の張り紙を手に持って、きょとんとしている女性を指差して叫んだ。

その後、女性はようやく落ち着きを取り戻したのか、にっこりと微笑みながら、改めてときめきたちに声をかけてきた。

「はじめまして♪今日からこのお店で働くことになった春日っていいます♪よろしくお願いしますね」

 微笑ながらぺこりとお辞儀する女性――春日の姿に、ときめきたち四人は、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

「あっ……ありえへん……この店に女の店員なんて……」

「うそやろ……そんなん、君、人生間違えとるって……」

「日本の不況は……ここまで深刻になってしまったのか……」

「なんまきっつい就職難は、北だけじゃないんですね……」

「……あんたたち、うちの店をなんだと……」

 口々に失礼なことを呟く四人に、星元は眉間に怒りのしわをピクピクと浮かべながら呟いた。

 少し険悪なムードの流れる中、それを和ませるように、春日の黄色い声が響いた。

「ねっ、皆さん、立ったままもあれですし、こちらに座って、どうぞ♪ご注文は何にしますか♪」

「えっ……あっ……ああ、そうやな。そしたら、俺はカシスオレンジ」

「ああ。俺もそれでええわ」

「じゃっ、俺はギムレット。ベースはタンカレーで」

「ぼくはとりあえずビールで」

「はい♪カシスオレンジが二つにギムレットにビールですね♪マスター、お願いします♪」

「えっ?あっ、はいはい」

 春日のにこやかなペースに乗せられるように、四人は言われるままにカウンターに腰を下ろし、星元は注文の品を作り始める。

 すっかり春日に操られているかのような五人の姿を、カウンターの雷星は面白そうに笑いながら見守っていた――



「そっか〜、春日ちゃんもステルヴィア好きなんだ〜」

「はい♪しーぽんと初佳さんって可愛いですよね♪」

「で、小唄はイッテヨシ!」

「もちろん♪」

「あははっ、話がわかった子だなあ」

 飲み始めて小一時間。店内はいつも以上に華やいだ、賑やかなムードになっていた。

「はははっ!しっかし、超人話バリOKな子やなあ〜。気使わんと話できてええわ。……けど、春日ちゃんんのこと、なんかどっかで見た記憶あるような気がさっきからするんやけどなあ……俺たち、どっかであってへんか?」

 早くも五杯目のカシスオレンジを飲みながら、ときめきが上機嫌で言った。

「あははっ♪お上手ですね、ときめきさん、でも、そのナンパの仕方はちょっと古いですよ♪私たち、間違いなく今日が初対面ですって♪」

「ははっ、とっき〜、早速流されちゃったなあ!」

 あっさりと返した春日の返答に、早速Y2yが賑やかに突っ込む。

「ははっ、さすがにあかんかったか〜!失敗、失敗!」

 笑いながら返すときめきだったが、『けど、どっかであったような気がするんやけどなあ』と、疑問に思う気持ちは消えることがなかった。

 しかし、そんなことを深く考えるよりは、今は、久々に味わうこのハイテンションのムードを存分に楽しみたいと思い、ときめきはそれ以上考えることをしなかった。

 実際、超人たちには縁遠い女性ということで、最初こそ固くなり、ぎこちない雰囲気が流れていたが、春日の超人趣味爆裂な軽快トークにほぐされるように、今はすっかりと和やかなものになっていた。

「しかし、いい子見つけましたね〜ゴッド。むさくるしいこの店も、これでようやくぱっと明るくなりますなあ」

「むさくるしいはひどいですね〜!まあ、実際そうだったですけど!あははっ!」

「本当、本当!ぼく、これから春日ちゃんに会いに毎日通っちゃいますよ!」

「きゃっ、弥生さんってば、お上手なんだから〜♪」

「ってか、お前は春日ちゃんが来る前から、ここにほぼ毎日通ってただろうが!」

「あっ、あにぃ〜!それを言っちゃおしまいだよ〜!」

「まっ、弥生さんったら♪あははっ」

 ここ最近。事件以降の暗いムードで鬱屈してしまっていた気持ちを一気に晴らすように、一同は賑やかに騒ぎ続けていた。

 と、そんな中、ただ一人、会長だけが、何やら考え込むような表情で黙りこんでしまっていた。

「なんや、会長、しけた面しやがって。また一人で鬱ってるんか?」

 苦笑を浮かべながら声をかけたときめきに、会長はお約束とばかりに『じゃかましい!』と返してから、声の調子を変えてしゃべり始めた。

「いやな。実は昨日から、なんか引っかかっとんねん。胸の中で」

「引っかかってる?何がや?」

 予想していなかった会長の言葉に、ときめきは怪訝そうに眉を潜めて尋ねた。

「それがわかったら苦労しないっちゅうねん。なんか、昨日、鍵の会社で見たもののなかで、気になるものがあるような感じがするんやけど……ああっ、わからへん、鬱!」

 会長はそう呟くと、やけくそとばかりに残っていたカルーアミルクを飲み干し、グラスを掲げてお代わりを催促した。

「春日ちゃん、これもう一杯!……あっ、せや。ついでに一杯おごったるから、春日ちゃんも何か飲んだらええわ」

「わっ!いいんですか、ありがとうございます♪それじゃあ〜……私、コーラ好きなんで、何かコーラ使ったカクテル頼んでもいいですか?」

 気を紛らわせようとしたのか、会長の気前のいい奢り発言に、春日は嬉々としてそうリクエストした。

「はいはい、じゃあ、うち特製のキューバ・リブレでも作るよ。会長さんはカルーアね、すぐ作るんで!」

 リクエストを受けた星元は、陽気にそう返すと、すぐに二杯のカクテルを作り始めた。

「引っかかりねえ〜。なんかあったかなあ……」

 会長の呟きが気になり、今度はときめきが一人俯いて、色々と考え始めた。

 しかし、いくら昨日の記憶を思い出してみても、浮かぶのは生き恥社長二人の狂態のみ。特に情報になりそうなことは一つも浮かんで来なかった。

「はい、お待ちどうさま〜!」

「おっ、隊長ありがとうございます!ほな、春日ちゃん、乾杯〜!」

「はい!ごちそうさま〜!いただきます♪」

 そんな中、注文の品が出来上がり、会長と春日が乾杯する声が聞こえて来る。

「ふ〜。カルーアは甘くて美味いわ。春日ちゃん、どや?そっちも美味しいか?」

「ゴクゴク……ぷっは〜!はい、凄く美味しいです♪」

 そんな声を聞いたとき、ときめきの中にも何かが生まれた。

「えっ……」

「うん?どうした、親父?」

 かすかに声を上げたときめきに、Y2yが怪訝そうに声をかけた。

「えっ?いっ、いや……なんでもあらへん」

 ときめきは小声でそう答えながら、じっと考え込み始めてしまった。

 なんだ……今、自分が感じた違和感は。

 確かに今の一瞬、胸の中に走った違和感。

 しかし、ときめきはそれがなんなのか、はっきりと掴むことは出来なかった。

 ときめきと会長。二人が抱いた二つの違和感。

 それがこの後、この難事件を照らす光となるとは、このときの二人は思いもしていなかった――




<次章へ続く>