Detective Chinguji Tokimeki
Episode7
――ときめきがその男と出会ったのは、初夏のむしばむ夜、いきつけのBar『The Star origin』で、一人、グラスを傾けていたときだった。
「ふ〜っ……」
ときめきは、オレンジと濃い紫の入り混じった、夕景の光のような色の液体――彼の愛飲する『カシスオレンジ』が満たされたタンブラー・グラスを、退屈そうに持て余していた。
「……ったく、会長、最近とんと付き合い悪くなったなあ……おっさんになったら、酒もあかんか」
ときめきは小声で呟きながら、甘く爽やかなオレンジと、カシスの苦味の入り混じった液体を啜った。
最近、相棒である会長が、飲みの誘いに乗って来ないことが多く、こうして一人酒の機会が多くなってしまい、それが少々寂しいときめきだった。
「飲みの誘いも来ない、SSはいくら催促しても『俺はお前みたいなプーと違って忙しいんじゃ』つって書きゃしない……俺もお前と同じ仕事しとるやないか!ったく、もう、あいつだめぽ」
ときめきは、会長に対する不満をぶちまけながら、グビグビとカシスオレンジのグラスを傾け続けた。
いつもは夜も更けてくると、超人たちで賑わう『The Star origin』だが、今宵は何故か客足が引いていて、ときめきの他には、カウンターの端にもう一人若い男が居るだけだった。
チラッと一瞥してから、ときめきは空になったグラスを手持ち無沙汰に振りながら、カウンター内の神父服姿のバーテン――マスターの『ゴッド』星元に声をかけた。
「ゴッド、お代わり〜」
「はい。また同じのでいいですか?」
「う〜ん、いや、次はカルーアにしますわ」
「了解です。ときめきさん、甘いのが好きですね」
星元は空いたグラスを受け取ると、棚からオールドファッションドグラスを取り出し、そこに、アイスピックで丸く形作った氷と、カルーアリキュール、良く冷えたミルクを満たし、軽くステアしてときめきの前に差し出した。
ときめきは『サンキュ』と、グラスを受け取ると、琥珀色の液体を少しずつ啜り始めた。
「うん、美味い。やっぱこれやなあ」
ときめきは幸せそうに言うと、ちびりちびりとそれを飲み続けた。
と、そんなときめきに、星元が『そうだ』と何か思いついたように呟くと、なにやらグラスを取り出して、カクテルを作り始めた。
「ときめきさん、甘いのがお好きでしたら、こいつをちょっと味見してみませんか?私が作ったオリジナルカクテルなんですが」
そう言って星元がカウンターに差し出したのは、黒い液体で満たされた長いタンブラーグラスだった。
少し泡が立っているところから、どうやらその黒はコーラのようだとわかる。
「キューバ・リブレという、コーラとラムのカクテルを元に考えてみたんですが。名づけてモエ・リブレ」
「なんですか、その名前は」
相変わらずの超センスに、ときめきは苦笑しながらも、せっかくの薦めだからと素直に受け取り、早速一口飲んでみた。
途端、
「ぶっ!」
ときめきは、口の中に広がった、なんとも形容しがたい薬品臭い香りに、思わず噴出してしまった。
「ゴッ、ゴッド!これ、一体なんなんですか!?」
あまりの味に、ときめきは『何を飲ませるんだ虎羅!』と言わんばかりに食って掛かった。
「何って……ただ、キューバ・リブレのコーラを、私の好物のドクター・ペッパーに変えただけなんですが……」
「ドクター・ペッパーって……そんな『地雷』なコーラ、カクテルに使わんといてください!」
「そうですか〜……美味しいんだけどなあ」
ときめきが押し戻したグラスを受け取りながら、星元は残念そうに首を傾げた。
「まったく……ほんま、無い相談や」
ときめきは口直しとばかりに、再びカルーアを口に流し込んだ。
と、
「くくくっ……」
「うんっ?」
カウンターの隅から聞こえてきた笑みに、ときめきは顔を向けた。
見ると、カウンターの隅に座っていたもう一人の客――長身でがっしりとした体格の、ときめきよりいくつか若い青年が、必死に笑いを押し殺していた。
ときめきの視線に気付いた青年は、少し気まずそうにときめきの方を向き直った。
「あっ、すいません。いや……ドクター・ペッパーのカクテルというのは、確かにぞっとしないですよね」
「あっ、ああ……せやろ?どう考えてもありえへんって」
ときめきもそれに同意し、『変なもの飲ませやがって虎羅』と言わんばかりに、ジト目で星元を睨んだ。
「ひっ、酷いなあ。……美味しいと思うんだが……というか、ほら、ちょっと飲んでみてくださいよ」
星元は納得していない様子で、今度はその青年の前に、あのおぞましいカクテルのグラスを差し出した。
「えっ?マジですか〜……しょうがないなあ」
青年は、まあ仕方が無いかと、薦められるまま、それを一口啜った。
ときめきは、『あ〜あ、噴出さないと良いけどなあ』と、青年がどんな面白いリアクションを見せてくれるかちょっと期待しながら見守っていたが、青年の反応は、ときめきの予想を上回るものだった。
「……うわっ!」
「どうや、ありえへん味やろ?」
「メチャクチャ美味いじゃないっすか!」
「……へっ?」
ありえない青年の反応に、ときめきはぽかーんと口を開けたまま、呆然と青年を見詰めた。
「あははっ、そうでしょ?そうでしょ?いやあ、やっぱり通な方にはわかるんですねえ、この味が。ときめきさんはトーシロだから」
「ははっ、確かに癖は強いですが、これはこれで中々いけますよ」
青年は笑顔で言いながら、ときめきの目からしたら『おぞましい』そのカクテルを、美味そうにゴクゴクと飲み続ける。
「君ら……それは、ありえへん反応やわ」
ときめきは苦笑を浮かべながら、その信じがたい光景を見守り続けた。
……そうやって、これをきっかけに雑談を交わすうちに、二人は何時しか一緒に杯を酌み交わしていた。
「ははっ!そやろ!やっぱ、マブラヴは最高やて!ちゅうか、純夏は俺の女や!」
「あっ、ずるいなあ、僕だって純夏派なのに〜」
「はははっ!お前も入るか?大日本純夏恋盟?今なら副総裁の座やるわ!」
「いいですね〜!よしっ!いっちょ入りますよ!」
「よっしゃ!そうこなくちゃ。ゴッド、ゴッドもどないですか?」
「……私、まだマブラヴは……」
「えーっ!なんでですの!あれはヤバイですって!はよやらないと!」
「そうですよ!もう、なんと言うか、純夏マンセー!ですから」
「ははっ、まあ、暇を見つけて何とか……」
すっかり意気投合し、大いに飲み騒ぐ二人の勢いに押された星元は、苦笑を浮かべながらそう答えて流すしか出来なかった。
「ははっ!自分、おもろいな〜!気に入ったで!」
「ときめきさんこそ、面白いっすよ〜!」
肩を組みながら、グラスを打ち合わせ、二人はグビグビとカクテルをあおり続ける。
そんな様子を見つめながら、
『ああ、これは朝までコースだな。やれやれ、仕方ない。今夜は店を閉めたら、はぴぶりのふぁんでぃすくに萌え狂おうと思ってたけど……、明日に回すか』
星元は覚悟を決め、自分もその騒ぎに混ざろうと、店の看板の灯を落とした――
超人の集う店で出会った二人の友情は、こうして始まった。
……このときは、ときめきも、青年も、それを見守る星元にも想像は出来なかった。
この出会いが、後の悲しい事件の始まりとなったということを――
探偵珍宮寺ときめき
葉鍵灯が消えぬ間に
序章 邂逅
「ふ〜ん、なるほどなあ。いつの間にか、そんな友達が出来とったんか」
『The Star origin』へ向かう道すがら、ときめきの話を聴いていた会長は、『そんな話、今日まで知らんかったわ』と、少し驚いた表情で言った。
「いつの間にかって、もうだいぶ前やで?ほんま、お前、ずっと家に引きこもっとるから、そうやって世間のニュースの波に置いてけぼりくらうんじゃ」
「じゃかましい!俺はお前みたいなプーと違って、忙しいんじゃ!死事無いときくらい、家で思う存分ヴァナらせろや!」
「あほか!俺とお前、同じ死事やっちゅうねん!……ったく、そりゃ、こんなんが相方やったら、死事の依頼も来ないっちゅうねん」
ときめきが呆れえたように返すと、会長が間髪入れずに言い返す。
珍宮寺探偵事務所が誇る名コンビの、いつもながらの息のあったやりとりだ。
やがて、『そんなことより、お前さっさとSS書けや!これ以上放置プレイかますんやったら、次はお前、真琴が降臨するぞ!』と、決定的な一撃を放ったときめきに、分が悪いと判断した会長は、話をそらそうとわざとらしく咳払いをしながら言った。
「まあ、とにかく、早く店に行って一杯やろうや。咽喉渇いたわ。久しぶりにゴッドにも会って話したいし、それに……なんや、その新しい飲み仲間……なんちゅう名前何や?」
『そう言えば、まだ聞いてへんかったな』と尋ねる会長に、ときめきは『ああ』と頷いて答えた。
「うさ君や、うさ君。……そやな、この時間やったら、たぶん居ると思うで。あの子も俺がお前の話とか聞かせてたら、『うわあ、それは凄い人ですね〜。一回会ってみたいっす』とか言うてたから、紹介したるわ」
「凄い人って……お前、また人を無茶苦茶言ったんちゃうやろうな?ほんま、汚いなあ、お前は。そうやって人を貶めて、自分はええかっこするんかい!汚いなあ〜……って、うさ君……?なんやねん、その名前」
怪訝そうに尋ねる会長に、ときめきはこともなげに答えた。
「ああ、あだ名やあだ名。ちゅうか、本名知らんねん。まあ、なんか聞く機会逃してて、今更改まって聞くのもなんかあれやし」
「そうなんか?まあ、それは飲み屋仲間やったら、そないなこともあるやろうけど……その、うさ君ちゅうのはなんやねん?」
『ありえへんあだ名や』と、ちょっと呆れ顔で尋ねる会長に、ときめきは『ああ、実はな』と、そのあだ名が付けられた由来を話し始めた。
あれは、一ヶ月ほど前のある晩だった。
「あははーっ!」
「ああっ、今日は飲め飲め〜♪」
『Star origin』は、いつにもまして賑やかだった。
ときめき、そしてときめきの知り合いでもある警視庁の敏腕刑事コンビ『おじき』ことY2y、その弟分の弥生。この店の常連の中でも特に濃い連中が集まっているのだ。
そして、今日の主役は、カウンターの中でマスターの星元と肩を組んで、日本酒をラッパ飲みしている、傭兵のようなファッションで大きなカメラバッグを担いだ男、星元の超人道の師匠、人呼んで『超師匠』の異名を取る、戦場カメラマン、雷星だった。
「いや、しかし、良く無事でしたねえ、超師匠!」
おなじみのカルーアミルクを飲みながら、ときめきが雷星師匠の肩を叩く。
その肩からは、『大日本純夏恋盟』というタスキがかかっているのは、馬鹿騒ぎゆえのご愛嬌である。
「ははっ、まあなんとかね。アメリカちゃんのミサイル攻撃はきつかったけど、まっ、生き延びてきましたよ」
雷星師匠は、イ○クの戦場の中心部を駆け抜けて帰還したばかりだというのに、その死の淵の地獄の辛さなど欠片も見せず、平然と返した。
「まあ、この人は、人外の丈夫さだけがとりえだから」
「うっさい、黙れ!」
笑いながら言った星元(+『チリ神』タスキ)に、雷星師匠の地獄突きがその咽喉元に食い込むが如く炸裂する。
「グハッ!」
もろに食らった星元は、勢い良く吹き飛んでいく。
「あははっ……ちょ、ちょっと、雷さん、少しは手加減してあげたら」
やんちゃに暴れまくる雷星師匠に、温和なOL風の女性――彼の恋人である和音が、苦笑を浮かべながらせいする。
もっとも、口で止めたところで、この暴走王が大人しくなるとは、注意した本人も欠片も思っておらず、一応の役目は果たしているというアピールの意味が強かったのだが。
「こら、そこーっ!戦いはリングの上にしろーっ!」
顔を真っ赤にしながら、バーボンのボトルをラッパ飲みしている、『世界の百合・ゲラー』のタスキをつけたアフロの印象的な男は、ときめき達と同じくこの店の常連、警視庁捜査一課の敏腕刑部、『おじき』ことY2yだった。
もう既に、ボトル一本丸々空けているだけあって、顔は真っ赤、呂律もいまいち回っていない。
「そうだ、そうだーっ!リングでやれ〜!僕はその間、義妹たちとハァハァな時間を過ごすぞーっ!」
酒瓶片手に、続いて生き恥な叫びを上げるのは、『北の最終兵器シスコン』タスキをつけた、Y2yの部下である、弥生刑事。
この世の中の義妹は全て僕のものと常日頃豪語する、業深き超人である。
その恐ろしさは、風邪で高熱と頭痛に襲われても、休息よりも執念で妹ゲーコンプを優先するほどである(実話)
と、そんな叫びを上げた弥生に、いきなりときめきが噛み付いた。
「おい、ちょっと待てや弥生ちん!若葉たんは俺のもんじゃーっ!」
「はぁ?何言ってるんですか、ときめきさん!この世の中の妹は、全てこの『ロサ・シスコン』弥生のものですよーっ!大体、ときめきさんには雪乃たんも純夏たんもいるじゃないですか!それに、断腸の思いで雪希たんは譲ってあげてるんだから……」
「ああ、もう雪希たんは飽きたし、ええから!」
「飽きたって……ひどっ!」
と、二人が、生き恥な激論を繰り広げていたとき、『カランッ!』と音を立てて、入り口の扉が開いた。
「こんばんは……あれ、今日は随分賑やかですね?」
入ってきたのは、先日の毒カクテルの夜以降、この店で会っては良くときめきとグラスを重ねている、あの青年だった。
「おう!毎度、お疲れ!」
「ああ、どうも、ときめきさん……って、これは一体?」
ときめきに声をかけられた青年は、店内の、大馬鹿騒ぎに、しばし呆然とその場に立ち尽くしてしまった。
「ははっ、ちょっとしたパーティですよ……と、そうだ!」
突然、星元が何かを思いついたように手を打ち鳴らした。
「確かお客さん、舞萌えでしたよね?」
「えっ?……ええ、舞LOVEっすけど」
いきなりの超人質問に、青年は戸惑いながらも答えた。
それを聞いた星元は、まるでどっきりを思いついた悪魔のような笑みを浮かべた。
その星元が発する邪悪な気配に、青年はたじろぎ、一同は『おっ、また神の必殺生き恥どっきり炸裂?』と、期待満々の視線を集中させた。
「あーっ、はははっ!」
店内に、Y2yの狂気の笑い声が上がった。
「あっ……あはははっ!」
「ありえない……ありえないって……ははっ!」
「ぷぷっ……ごっ、ごめんなさい、でも……あははっ!」
弥生、雷星師匠、そして和音も、笑いを堪えきれずに苦しそうにもだえていた。
「はははっ!生き恥晒してんじゃねーッ!」
腹を抱えて遠慮なく大笑いしながら、ときめきがきめ台詞を吐く。
その一同の視線の先には……
「……ははっ」
苦笑を浮かべるしか出来なく、その場に呆然と立ち尽くす、あの青年の姿があった。
先ほどと違うのは、その頭に『うさ耳』の被り物が付けられていること。
「ははっ、大好評ですねえ」
自分の出した生き恥グッズの大うけに、星元は満足そうに頷いていた。
『舞萌えだから、うさ耳着用』
ほとんどやくざのようなこじつけで、青年は強引にうさ耳を装着させられ、生き恥を晒す羽目になってしまっていたのだ。
しかし、恥ずかしがっていたのも最初だけ。やけになって宴に加わり盛り上がるうちに、青年もあっという間にその姿になじみ、むしろそれを『美味しい』とさえ思うようになってしまっていた。
そんな生き恥パワー炸裂の宴は、更に盛り上がっていった。
「ははっ、お前ら、俺の生き様よう見とけーっ!嘘偽りない、裸の生き様じゃーっ!」
そう叫びながらカウンターに駆け上がるときめきは、言葉どおり、身も心も裸だった。
「あははっ、ありえねえっ!ありえねえって!」
それを見て爆笑するY2y。
他の一同も、シラフなら確実に引くであろうときめきの大暴走に、腹を抱えて大爆笑だった。
「飲め、飲めーっ!」
ゴクゴクと、日本酒を一升瓶で一気飲みしていく星元。
「はい、雷さんあ〜んっ!」
「あ〜んっ♪うん、おいちいよ、和音〜」
「あははっ、私もあ〜んっ♪」
勢いで、料理の食べさせっこを始めた某バカップル。
「あえて言おう!世界は義妹であると!あはは〜!末莉〜!優香〜!」
拳を振るって妹萌えを熱弁する弥生。
「……こういう大騒ぎ……かなり嫌いじゃない」
すっかりノリノリで舞を演じる青年。
店内は、もう誰にも止められないデンジャラスゾーンだった。
「はははっ!おもろいなあ、うさくん!」
「……かなり嫌いじゃない……っすよ〜!ときめきさ〜ん!」
ときめきと青年は、肩を組んで、大騒ぎを続けた。
この超人たちの、微妙に現実にあったようななかったような宴は、結局その後、日が昇る朝まで続いたのだった……
「まあ、そんなことがあってね。それ以来、うさ君って呼ばれとんねん」
「……お前ら、ほんまにドキュソやな」
説明を聞いた会長は、あまりの生き恥っぷりに、軽い頭痛を感じながら頭を振っていた。
「やかましいわい!己も参加しときゃ一緒になってさわいどったやろが!ほんま、ヒッキーやからなあ」
「うっさいな、ボケ!だから、今日はこうして付き合ってやっとるんやんか!」
いつもながらの毒舌なやりとりをしているうちに、二人は『Star origin』にたどり着いていた。
「まっ、続きは中で一杯やってからや。今日もみんな集まっとるとおもろいけどなあ」
「んな生き恥に付き合うのはごめんじゃ」
そんなことを言い合いながら、店の扉を開けたときめきたちは、早速中へと足を踏み入れた。
しかし、店内は、ときめきの期待とはまったく正反対に、珍しいくらいシーンと静まり返っていた。
かといって、閑古鳥が鳴いているというわけではない。カウンターの中には星元と手伝いで入っているであろう雷星師匠の姿があり、カウンターには馬鹿騒ぎとなると人一倍はしゃぐY2yと弥生の姿もある。
普段は陽気一直線な四人だが、今日は何故か揃って俯き、沈痛な表情になっていたのだ。
「あれ?……どないしたんや、今日はえらい静かやなあ?」
その雰囲気になにやらただならぬ物を感じながら、ときめきはとりあえずカウンターに腰を下ろした。
「なんか、あったみたいやけど、とりあえず話を聞く前に酒や。咽喉乾いてるねん。ゴッド〜、またいつものカシスオレンジ〜!」
そう言って注文するときめきだったが、いつもならすぐに『はいはい』と愛想良く答えてくれる星元が、今日は沈んだまま、何か言いたげな、けど、酷く言いづらそうな表情で、じっとときめきを見返すだけだった。
そんな星元の様子に、ときめきと会長は、さすがにこれはただ事ではないと、ようやく感じ始めていた。
「なんやねん……みんな揃って、そんな暗い顔して……どないしてん?」
「なんか、あったんっすか?」
怪訝そうに尋ねるときめきと会長に、弥生が重い沈黙を破って、呟いた。
「……うさ君が」
その名前を聞き、ときめきは意外そうに眉を潜めた。
「うさ君?うさ君がどないしてん?あっ、そう言えば、今日はまだ来てないみたいやな。いつもなら、口開け早々に来とるのに」
『会長を紹介したかったのになあ』と、残念そうに呟くときめきに、今度はY2yが、深いため息をついてから口を開いた。
「広瀬凌……」
「えっ?」
「広瀬凌。うさ君の名前さ」
きょとんと聞き返したときめきに、Y2yは酷くまじめな表情でそう告げた。
「広瀬凌……へえ、うさ君、そんな名前やったんや……って、なんでおじきが、うさ君の本名知っとるん?」
不思議そうに尋ねたときめきの言葉に、弥生、Y2y、星元、雷星は、一様に顔を見合わせ、誰が説明するか、目でその役目を押し付けあっているようだった。
と、何気なく時計を見たY2yが、ふと思いついたように星元に告げた。
「ああ、丁度ニュースの時間だ。ゴッド、TVつけてもらえますか?……たぶん、やるでしょうから」
「えっ?ああ、そうですね……ときめきさん、詳しいことは……これで、お願いします」
よほど自分たちの口で告げにくいことだったのか、Y2yの提案に、星元は少しほっとしたような表情になり、言われるままにTVをつけた。
夕方のニュース番組が丁度始まったばかりの画面を、ときめきと会長は、何が何だかわからない、けど確かに嫌な予感を感じながら、言われるまま見ることにした。
――そして、Y2yの予想通り、そのトップニュースとして、その事件は報じられた。
「では、最初のニュースです。今日未明、都内○区の、美少女ゲーム会社『葉っぱ』ビルディング内で、男性が頭から血を流して倒れているのを、見回りの警備員が発見し、110番しました。男性は既に死亡していて、警察は殺人事件として捜査を開始しました。被害者の男性は、『葉っぱ』開発部に勤務する、シナリオライター、ペンネーム『青紫』こと、竹林明秀さん。ファンの間からは、『超先生』の愛称で親しまれていました……」
「「えええーっ!」」
予想外のニュースに、ときめきと会長は悲鳴を上げた。
あのリアルリアリティの祖、壊れた日本語、盗作、駄作で、超人ゲーム界に常に話題を振りまいてきた、『葉っぱ』社史上最強の問題児、『超先生』が死んだ!
何だかんだで超先生ファンだったときめきにとって、それは衝撃という言葉以外で表せないことだった。
衝撃で凍りついたときめきに、ニュースは更に追い討ちをかける。
「……事件当夜、同じ社内で残業していた、被害者の同僚で『葉っぱ』所属のシナリオライター、広瀬凌さんの行方が、事件以降、不明になっていることから、警察は広瀬さんが事件に何らかのかかわりがあるものと見て、捜索しています……」
「「なっ、なんだってーっ!」」
想像もしていなかった展開に、ときめきと会長は、叫びながら思わず立ち上がった。
あのうさ君こと、広瀬凌が、超人ゲーム界の雄、『葉っぱ』のシナリオライターだったという事実も驚きだし、更にその彼が、超先生殺害の容疑者になっているとは!
「おっ、おじき!これはどういうことや!?」
わけがわからず、ときめきは沈痛な面持ちで座っているY2yに、説明を求めた。
「……俺も驚きだよ。事件の捜査で現場に行って話しを聞いてたら、こういうことになってな……」
ため息交じりで首を横に振るY2yを見て、ときめきははっと思いついて尋ねた。
「おじき、もしかして、今日はその捜査でここに来たんか?」
ときめきの問いかけに、Y2yは『ああ』と頷いた。
「……昨日の晩、超先生と同じように、彼も社内で徹夜の残業に当っていたそうなんだが……今朝から消息不明でな。もしかしたら、ここに姿を見せてないかと思って来てみたんだが……」
「……一昨日の晩以来、来てませんよ」
Y2yの言葉を受けて、星元が沈んだ声で続けた。
常連のこのような事態に、星元も相当のショックを受けているようだった。
「まさか……そんな……あいつが……」
ときめきも呆然となり、その場に崩れ落ちるように椅子に腰掛け、頭を抱えた。
一緒に飲み、語らい、生き恥を晒しあった友。
お互いの本名も知らなかったが、それでもときめきにとって、彼は既に朋友と呼べるほどの存在になっていたのだ。
その朋友が、殺人の容疑で追われている……
「ときめき……しっかりしろや」
ショックで呆然となるときめきを元気付けるように、会長がその肩を叩いて声をかけた。
それでようやく我に返ったときめきは、改めてY2yの方を向き直って尋ねた。
「おじき……これは、何かの間違いやろ?うさ君、たまたま用事があってどこかへ出てもうてるとか、そんなことちゃうん?」
わずかな期待を込めて言ったときめきだったが、Y2yは無常にも首を横に振った。
「……被害者の倒れていた脇に落ちていた凶器……使い古しの、ジャンクになったなまら重いHDDだったんだけど……それに、彼の……うさ君の指紋がべったりとくっついていたんです」
言い辛そうに沈黙したY2yに代わり、弥生がそう説明した。
「なんというか……なんでだろうね……」
話を聞いていたカウンターの中の雷星師匠も、やりきれない様子で首を横に振り、そんな思いを流し込むように、コップに注いだ冷酒を一気に呷った。
「まったくね……あんないい子だったのに……」
どんな時でも悠々としている星元も、さすがにがっくりと肩を落とし、沈痛な面持ちでうな垂れていた。
「……あほな……俺は信じへんぞ!」
と、俯いていたときめきが、そう叫ぶと共に勢い良く立ち上がった。
突然の叫びに、店内の一同が視線を集める中、ときめきは吼えた。
「あいつは、そんなことするような奴やない!凶器に指紋がついてたとか、姿が見えんとか、その程度の証拠で犯人とか決め付けるなや!友達やろ、お前ら!友達のことを信じてやれへんのかい!」
「親父……」
「ときめきさん……」
熱く叫ぶときめきに、一同は、搾り出すような声で呟くしかなかった。
ときめきは、激しく切れた息を整えると、『よし!』と、何か決意を固めた表情で一同を見渡した。
「あいつの、濡れ衣、俺が晴らしたる!」
「「「「えっ?」」」」
ときめきの宣言に、一同が揃って声を上げた。
ときめきは構わず言葉を続ける。
「おじきら警察がその程度の捜査しかしてへんのやったら、俺がきっちり事件捜査して、真犯人見付たるっちゅうねん!あいつは、絶対に殺しなんかやるような奴やない!その証明、俺が絶対にしたる!」
熱く叫ぶときめきに、見守る一同は言葉無く、じっと黙り込んでしまった。
店内には、つけっぱなしのTVの音声と、叫びで息を切らしたときめきの荒い息だけが響く。
と、そんな沈黙の中、星元が硬直から解かれたように動き出し、手際良くグラスを取り出し、それにカシスオレンジを作ると、すっとときめきに差し出した。
「……ゴッド?」
怪訝そうにそれを見つめるときめきに、星元はかすかに笑みを浮かべて言った。
「……咽喉渇いたでしょ、それだけ叫ぶと。飲んでくださいよ、私のおごりです」
「あっ、ああ、すんません」
ときめきはありがたくそれを受け取ると、叫んでからからに乾いた咽喉に、その甘く冷たくほのかに苦い液体を、ゴクゴクと流し込み始めた。
そんなときめきに、星元は『その代わり』と、言葉を続ける。
「……絶対に、証明してあげてくださいよ。うさ君の身が潔白だってこと」
星元の言葉に、ときめきはグラスを口から離し、少し驚きの表情を浮かべた。
そんなときめきに、星元は『頼みましたよ』と、穏やかな笑みで再び告げる。
見ると、隣に立つ雷星師匠も、同じようにときめきに全てを託すような目で、こちらを見つめていた。
その表情から、二人もやはり自分と同じく、この店を愛する同じ仲間である『うさ君』のことを信じているのだと悟ったときめきは、力強い頷きで返した。
「……ああ、任せといてください。これの分以上は、きっちり働きますわ!」
ときめきは、カシスオレンジのグラスを掲げると、半分ほど残っていたそれを一気に飲み干した。
そして、グラスをテーブルに置くと、流れについていけずにぼーっとしていた会長の方を振り向き、その肩をポンッと叩いて声をかける。
「おう、会長!お前にも手伝ってもらうからよろしくな!」
「えっ?ちょ、ちょっとまてや!そんな、金にもならんことを、なんで俺も手伝わないかんねん!別に、俺は友達とかやないし……大体、俺はお前みたいなプーと違って……」
「じゃかましい!どうせヴァナってるだけやろが!たまには表出ろ!」
いつものセリフで断ろうとする会長を、ときめきは有無を言わさずに叫んで黙らせた。
と、そんな二人のやりとりに苦笑を浮かべながら、Y2yが立ち上がると、ときめきの肩をぽんっと叩いた。
「まっ……頼むぜ、親父。……警察って言うのも……組織の中の歯車だから、どうしてもやりたいようには出来なくてな……」
「……親父」
寂しげに語るY2yの表情から、ときめきは彼もまた、自分と同じ気持ちでありながら、その歯車としての立場ゆえに行動できないもどかしさを感じていたのだと悟った。
「ときめきさん……お願いしますね。なまら大変な死事だと思いますけど……僕や、あにぃには出来ないことなんで……」
同じように、弥生も、全てをときめきに託すような眼差しで見つめていた。
ときめきは、そんな二人の想いを受け取ると、力強く頷いた。
「ああ。俺に任せとけ!絶対に、あいつの身の潔白、証明したる!」
固い決意の篭った表情で答えるときめきの後ろで、会長は一人、『なんで俺も巻き込まれないとあかんねん……鬱っ!』と、暗い表情になっていた――
<次章へ続く>