「うっ……」 激しい咽喉の渇きに耐えかね、ときめきは鉛のように重い瞼をしぶしぶと開けた。 途端、頭の芯から全身に広がる頭痛と、胃が口から飛び出してしまいそうなほどに強烈な吐き気を覚え、 思わず顔をしかめた。 ……会長のグァム土産の高級ブランデーをがぶ飲みした、手痛いツケだ。 酒は、たっぷり愛してやった人間に対して、何でこんなに手荒いお返しをくれるんだろうか。 タチの悪いアバズレ女のようなつれなさだ。 心の中でそんなことを毒づきながら、ときめきは吐き気を耐えつつ、よろよろと起き上がった。 かすかに日差しが差し込んでいる窓のカーテンを、シャッと開ける。 地平線に半分見え隠れする太陽は、真っ赤に染まっている。 朝日……ではない。それを最後の肴にして、一杯開けた記憶が残っている。 当然の如く、夕方まで眠ってしまっていたようだ。 「ちっ……」 一日を無駄にした虚脱感と頭痛と吐き気に、ときめきは軽く舌打ちをしながら、枕元のタバコの箱を取り 上げ……既に空になっていたそれを、部屋の隅の屑篭に投げ捨てて、再び舌打ちをした。 仕方無しに、ときめきは窓際に置いてある灰皿の中から、一番まともなシケモクを拾い上げると、枕元の マッチを取り上げて火を付け、夕日を眺めながら、目覚めの一服を味わい始めた。 二日酔いのせいで、美味くもなんともない、煙の味が広がる。 食欲も無い。今日の『朝』飯は、これで済ませるつもりだ―― 「お〜っ、よしよし……ほら、餌だぞ〜」 『朝飯』を吸い終え、よろよろと部屋を出たときめきの目に飛び込んできたのは、リビングの水槽の中の 金魚に餌をやる、相棒の会長の姿だった。 「雪乃たんの餌か?」 「ああ。寝坊してもうて、すっかり遅くなっちまった……ごめんな〜雪乃たん」 会長は、水槽の中の金魚に語りかけながら、餌をパラパラと落として行った。 それを横目にキッチンへ赴いたときめきは、冷蔵庫の中からエビアンを取り出し、砂漠に一週間放置した ぼろ雑巾の如く乾き切った咽喉に、一気に流し込んだ。 冷たい水が、からからに乾き切った咽喉から全身に染み渡る快感が、ときめきを震わせた。 まったく、酔い覚めの水ほどこの世の中で美味いものはないんじゃないか。 『酔い覚めの水の美味さを下戸知らず』とは良く言ったものだと、ときめきはしみじみと感じていた。 水分を補給したついでに、薬箱からアスピリンを取り出して、それも残った水とともに飲み干し、ようや く一心地着いたときめきは、よろよろとリビングに戻り、部屋の主の如く中央にでんと据えられているソフ ァーに身体を投げた。 「ふ〜っ……」 「昨夜は、ちょっとやり過ぎたなあ」 雪乃に餌を与え終わった会長も、二日酔いで唸る頭を抑えながら、ときめきの隣に腰掛けた。 ときめきはそんな会長を横目で見ながら、淡い期待を胸に声をかけてみた。 「なあ……ボキが寝てる間に、何か依頼が来たとかは……」 ときめきが全てを言い終わる前に、会長は酒臭いため息を吐きながら、首を横に振った。 それで全てを悟ったときめきは、同じように酒臭いため息と共にうなだれた。 「……これで、3ヶ月仕事無しか……」 「何とか年は越せたけど……俺たち、このままやと、干上がるのも時間の問題やな」 ときめきと会長の絶望的な声が、部屋に虚しくこだました。 ――新宿の雑踏の中の、古びたビルの一室に事務所を構える『珍宮寺探偵事務所』は、未曾有の財政危機 に襲われていた。 既に三ヶ月もまともな仕事にありつけず、そろそろ蓄えも底を尽いてきて、明日の米代にも苦労し始めて いる。 昨晩の高級ブランデーがぶ飲みも、そんな切羽詰った状況ゆえの、自棄酒であった。 「しかし、ほんまに何とかせんとなあ〜」 会長がソファーにもたれかかり、ため息交じりで呟いた。 「ああ。……日雇いのバイトでも探さなきゃ駄目だな、いよいよ……」 「新年早々、バイトに精出す探偵か……冴えないことこの上ないな」 「……仕方ない、生活のためだ。最低でも、雪乃たんの餌代くらいは稼がんとな」 ときめきが苦笑交じりで言ったときだった。突然、ノックも無しに、事務所の扉が開かれたのは。 「おう、いるか、親父」 「うん?……おじき?久しいな」 ときめきは、入って来た人物に、意外そうな表情で声をかけた。 「ああ。ご無沙汰だったな。何かと忙しくてな」 男は着ていたトレンチコートを脱いで、手に持ち部屋の中にずかずかと上がり込んだ。 男の名は、警視庁捜査一課の名物警部、『おじき』ことY2y。ときめきとは、縁浅からぬ関係を持つ人物 だ。 「なんだ、揃って随分としけた面をしてるじゃないか」 ときめきの正面の椅子に腰を下ろしながら苦笑交じりで声をかけるY2yに、ときめきも苦笑で返した。 「しょうがないさ……何しろ、仕事が無くて、食いっぱぐれそうなんだから」 自虐的に呟くときめきに、Y2yは『そいつは丁度いい』という表情で、話を切り出して来た。 「なら、一つ、仕事を引き受けちゃくれないか、親父」 「「仕事!?」」 この数ヶ月、ひたすら待ち望んでいたその単語に異常なまでに反応を示したときめきと会長の叫びが、ほ ぼ同時に響き渡った―― 「しかし……凄い応接間やなあ」 会長は、通された部屋の中を見渡して、しみじみと呟いた。 豪華なシャンデリアにソファーにペルシャ絨毯。壁には洒落た油絵に鹿の頭の燻製。 絵に描いたような『金持ち』の屋敷の一室という雰囲気を醸し出す内装だ。 「なんちゅうか……豪華やなあ」 「ああ。不況といっても、あるところにはあるって訳だ」 ときめきは皮肉な笑みを浮かべながら呟くと、煙草の煙をふーっと吐いてから、貧乏私立探偵である自分 にはあまりに不似合いなこの豪邸を訪れる理由になった、前夜のおじきことY2yとの会話を思い出してい た。 「で、どんな仕事なんだ、おじき?」 さすがに二日酔いでは酒を煽る気にもなれず、闇よりも黒く、若さゆえの過ちよりも苦い、熱いコーヒー を啜りながら、ときめきはY2yにはやる気持ちを抑えて尋ね返した。 「ああ。ちょっと待っててくれ……」 同じくコーヒーを、こちらはミルクと砂糖を入れて啜りながら答えると、Y2yは懐から一枚の写真を取 り出した。 ときめきと会長は、テーブルの上に差し出された写真を除きこむ。 そこには、美しく長い黒髪が印象的な、一人の清楚な女性が映し出されていた。 上品な感じが写真からでも十二分に伝わってくる、いかにも『お嬢様』と言う雰囲気の漂う女性だ。 「この女性は、さる名家の当主なんだが……彼女のボディガードをして欲しい」 Y2yの言葉に、ときめきは『おいおい』と言わんばかりに鼻で笑った。 「ボディガード?おいおい、おじき、ちょっと探偵小説の読み過ぎじゃないか?現実の私立探偵は、そんな 物騒な仕事、やるもんじゃないぜ」 ときめきの言うとおり、私立探偵が、刑事さながらに難事件に挑んだり、派手なアクションをこなしたり するのは、お話の世界だけの話。 実際の……特に日本の私立探偵といったら、せいぜい素行調査に人探し程度が関の山の、地味な職業だ。 ときめきと会長も、腕に覚えが無いわけではないが、そんな厄介そうな仕事以外を受けたことは無かった。 「ボディガードって、普通はSPとか頼むんじゃないんっすか?まして、名家の当主様やったら、金もある んでしょうし……」 怪訝そうに尋ねる会長に、Y2yは『まあそうなんだがな』と前置きして、厄介そうにため息をついた。 「実は……この話は、その名家で執事をやってる、私の知り合いから持ち込まれた話でね……最近、その当 主の周りに、不穏な影が見え隠れしてるそうでな……心配になったそいつが、SPを雇おうとその当主に進 言したらしいが、当主が頑として首を縦に振らなかったらしいんだ。『まだ、何か被害があったわけでもない のに、大げさにする必要もない』ってな。まあ、その言い分もわからんでもないが、実際、何かあってから じゃ遅いものだしな……それで、困ったそいつが、私のところに話を持って来たんだ。大げさにせずに、な んとか調査してもらえないかとな」 Y2yの話を聞き、ときめきは『なるほど』と頷いた。 「しかし、それでなんでボキたちにその話を?適当に部下にでもやらせるわけにはいかないのか?」 ときめきがふと気になって尋ねた。警視庁の名物警部であるY2yの元には、数多くの有能な部下たちが いるはずだ。何もわざわざ自分たちを頼ることもないだろうに…… そんな疑問を浮かべるときめきに、Y2yが疲れたようにため息をつきながら答えた。 「ああ。年明け早々で、警察も何かと忙しくてな……まあ、それでも本当は弥生の奴にでも任せようかと思 ってたんだが……」 「弥生……ああ、あのちょっぴり『先生大好き、はじるすマンセ〜』な刑事か」 その顔を思い浮かべながら言うときめきに、Y2yは頷いた。 「ああ。で、頼もうと思ったんだが……」 と言ったところで、Y2yは苦笑を浮かべて、言葉を止めた。 「……思ったところで?どないしたんです?」 尋ねる会長の言葉に、Y2yは一際大きなため息をついてから答えた。 「……新年、あいつ北の街の実家に帰ったんだが、昨夜、電話があってな。『ボキ、義妹とエイエソの世界に 旅立つんで、もう警察辞めます』って」 あまりにあまりな理由に、ときめきと会長は、飲んでいたコーヒーを噴出して、机に伏した。 「なっ、なんちゅうか……」 「ちょ、超人だ……さすが超人刑事だ……」 「ああ、我が部下ながら……情けない」 Y2yも、情けなさに涙しながら、首を振った。 少しして、ようやく復活したときめきが、気を取り直して尋ねた。 「で、そのお鉢がボキたちに回ってきたって訳か……」 「ああ。……まあ、他に当ても無かったしな。ボディガードと言っても、そんな大した事するわけじゃない し、相手は金持ち、報酬も弾んでくれるはずだ。どうだ、悪くは無い話だろ、一つ、やってくれないか?」 そう言って拝んで頼み込むY2yに、ときめきと会長は戸惑ったように顔を見合わせた―― 「で、結局引き受けちゃったんだよなあ、ボキたち」 「まあ、いい加減仕事せんと、マジで餓死やからなあ」 ソファーに腰掛けて天井を仰ぎながら、二人はため息混じりに言い合った。 結局、Y2yの申し出を受けた二人は、こうして依頼主である、名家、綾部家のお屋敷へやって来ている のだった。 「しかし……豪華な屋敷やなあ……」 会長が、室内を改めて見渡し、しみじみと呟いた。 「だなあ。これだけ金があると……狙われる理由も山程ありそうだなあ……」 ときめきは真剣な顔になり、色々と考え込み始めた。 金目当て、何らかの権力争いの末の抗争……理由はいくらでも浮かんでくる。 まあ、全ては当人にあって、話を聞いてからだなと、ときめきが思ったとき、部屋のドアが開いた。 「姫様、こちらです」 黒服に身を包んだ男――ときめきたちを、先ほどこの部屋に案内してくれた、今回の直接の依頼主の綾部 家執事GZMが、一人の女性を部屋に招きいれた。 落ち着いたドレス姿の、Y2yから見せてもらった写真に写っていたのと同じ女性が、ゆっくりと部屋に 入って来た。 彼女が、早逝してしまった両親の代わりに、この綾部家を切り盛りしている現当主。姫、その人だ。 「姫様、こちらの二人が、この度、姫様の警護を担当する者たちです」 GZMは、ときめきたちを手で指し示しながら、姫にそう紹介した。 「どうも、珍宮寺ときめきと申します」 「会長です」 ときめきたちは立ち上がり、警護対象である姫に頭を下げて挨拶した。 「……よろしくお願いします。当家の当主、姫と申します」 姫は、沈んだ表情で、軽く頭を下げた後、GZMの方を振り向いた。 「……やっぱり、気が進みません。何も、こんなに大げさにしなくても……」 そういう姫に、GZMは血相を変えて首を横に振った。 「とんでもない!何かあってからじゃ遅いんですよ、姫様!」 「でも……」 言い争う二人の様子を見て、ときめきはとりあえず話を進めようと口を挟んだ。 「すいませんが……とりあえず、一体、現状がどうなっているのか、それをお話願いますか?それを聞いて みて、プロの見解として、姫様の言うとおり、今回の警護が大げさなのか、それとも執事さんの言うとおり、 必要なものなのか、判断しましょう」 ときめきの申し出に、姫は少し戸惑った表情を見せた後、『ええ、そうですね』ととりあえずは納得し、と きめきたちの正面に腰掛けると、ゆっくりと口を開き始めた。 「……数ヶ月前から、私の周りを……誰かが監視しているような気配をずっと感じていたんです。けど、実 際には被害がなかったので、自分の思い違いかと思っていたんですが……」 「先日、留守中に姫様の部屋が荒らされるという事件が起こりまして……部屋中が引っ掻き回された上に、 ベッドの上に……ちょっとお待ちください」 GZMはそう言うと一旦席を外し、なにやらビニールの袋を持って戻って来た。 「これが、おかれていたのです」 そう言って差し出されたビニール袋の中を、ときめきと会長は覗きこんだ。 「……これは」 その中に入っていたのは、女物の制服だった。二人には、その服に見覚えがある。これはKanonのキ ャラたちが着ている、あの制服と同じものだ。 「これが、置かれていたんですか?部屋に?」 ときめきの問い掛けに、GZMと姫は揃って首を縦に振った。 「部屋は凄く荒らされていたんですけど、何もとられたものはなくて……それが、置かれていただけなんで す」 沈んだ表情で話す姫の言葉に、ときめきと会長は顔を見合わせた。 「どう思う、会長?」 「さあ……犯人の意図が、さっぱりわからんなあ?まあ、こんなあれなものを置くっちゅうことは、犯人は 相当の超人やろうな」 ときめきと会長が、とりあえずそう推理したところで、GZMが話を続けた。 「それまでは、姫様が『大ごとにしないように』と申しておりましたので、内密にしておりましたが……さ すがに、この侵入事件があって、これは捨てて置けないと思いまして、Y2y警部に信頼出来る警護を紹介 してくれるよう、お頼みしたのです」 不安げな表情で切々と語るGZMの言葉に、ときめきと会長は、『なるほど』と頷いた。 「既に侵入されてるとなると……確かに、かなり危険ですね」 「せやな。留守中だったから難を逃れたけど、これが在宅中だったら……洒落にならんことになってたかも しれんな」 ときめきと会長は、そろって深刻な表情で呟いた。 「そうでしょ、そうでしょ!やはり、警護は必要ですよね」 ときめきたちの呟きに、自分の考えが間違っていなかったと確信したGZMが、念を押すように尋ねてき た。 ときめきと会長は、その言葉にそろって頷いた。 ここで『問題無し』と言ってしまうと、せっかくの仕事がなくなってしまうということもあるが、それ以 前に、部屋にまで不審者が侵入してしまうというこの状況は、間違いなく危険だ。 「姫様、と、言うわけです!絶対に、警護はつけさせていただきますよ!」 「……ええ……」 ときめきたちの賛同を得て、強気な口調で言うGZMに、姫はまだ気乗りしない様子ながら、しぶしぶと 頷いていた。 しかし……と、ときめきはふと思った。 部屋を荒らされるくらい危険な状況だというのに、彼女は何故、ここまで警護を拒否するのだろうか? (これは……やっぱり、何か裏があるな……) ときめきは、きな臭いものを感じ、この仕事は今までに無いくらいヘヴィなものになるだろうという予感 を感じていた―― 会談終了後、ときめきと会長は、GZMの案内で、広い屋敷を見て回ることにした。 警護する場所を、しっかりと把握していなければ仕事にならないのは当然だ。 二階建ての、部屋数は三十を越える広い屋敷を、ときめきたちは一室ずつ、丁寧に見て行った。 「ふむ……意外と、警備体制は整ってないんだな」 途中、二階の廊下を歩いているとき、ときめきがふと呟いた。 今日、これくらいのお屋敷ならば、最新鋭の防犯システムが常備されているものだが、この屋敷にはそう いったものが一切付いていなかった。 「先代が、そのようなものを『無粋だ』と、あまり好まれなかったもので……」 GZMが、苦笑を浮かべながら答えた。 「そうなんですか……それにしても、これだけ広い屋敷を、人間の目だけで監視するのは、難しそうや」 会長が、先行き不安そうな表情で呟いた。 「そう言えば、先代……つまり、今の当主の姫様のご両親は、なんでお亡くなりに?」 もしかすると、その辺にも何か事件の鍵があるかも……と、ときめきが尋ねてみた。 「ええ。先代の当主、チエン様は、奥様共々三年前に交通事故で……それ以来、姫様が当家を必死に切り盛 りしております……まだお若いのに、頑張られて……ううぅ……」 感極まって涙を流すGZMを、ちょっぴり引き加減で見つめながら。会長がさらに問いかけた。 「そうやったら……姫様は、今、肉親の方はいらっしゃらないので?財産を狙ってる叔父さんとか、そうい うのは……」 いかにも王道な容疑者が居ないかと尋ねる会長に、GZMは首を横に振った。 「いえ、姫様には親類はおりません。ただ、お一人……」 と、GZMが言いかけたとき、ふと廊下の突き当たりの部屋のドアが開き、隙間から一人の少年がときめ きたちを見つめていた。 「うん?」 その視線に気付いてときめきがその少年の方を見つめると、少年は慌てて部屋の中に身を隠し、ドアを閉 ざしてしまった。 『あの少年は?』 と、目で尋ねるときめきに、GZMがすぐさま答えた。 「あの方が、姫様の唯一の肉親で在られます、弟の広瀬凌様です。本来なら、嫡男である広瀬凌様が当家の 後取りだったのですが、何分、まだお若い上にお体が弱いので、当主の仕事はとても勤まらず……成人され るまでは、姫様が代理と言うことで、当主の座についているのです。そりゃ、仲の良いご姉弟でして、姫様 は広瀬凌様を『りょっちゃん、りょっちゃん』と、そりゃ目に入れても痛くないほどの可愛がりようで…… 広瀬凌様の方も、最近は部屋に一人で篭りがちになっていますが、少し前までは常に姫様にべったりとくっ ついている懐きようでして……」 「へえ〜……」 説明を聞き、会長が声を漏らすと、ふと思い出したようにGZMが呟いた。 「ああ、そういえば……姫様の部屋が荒らされた時、広瀬凌様だけは、家で留守番をしておられたのです。 しかし、眠っておられたとかで、何にも気付かなかったそうですが……」 GZMの言葉を聞き、ときめきと会長は、驚いて顔を見合わせた。 「ときめき……」 「ああ、眠ってたと言っても、何か気付いたことがあるかもしれんな。……執事さん、ちょっと彼に話を聞 きたいんですが、よろしいですか?」 ときめきの申し出に、GZMは渋い表情になった。 「それはよろしいですが……広瀬凌様は、何かと人見知りが激しくて……話して頂けるかどうか……」 「まあ、話してくれるかどうかはともかくとして……とりあえず、聞いてみても?」 尋ねるときめきに、GZMは気乗りしない様子ながらも『ええ』と頷いた。 「それでは、私は所用がありますので、先に失礼しますので……」 と、言い残して立ち去って行ったGZMの後姿を見送ってから、ときめきと会長は、先ほどちらっと顔を 覗かせた広瀬凌の部屋の前に立った。 二人は目配せで合図してから、ドアを『トントン』とノックした。 「こんにちは。お姉さんの警護をしているものだけど……悪いけど、少し、話を聞かせて貰えないかな?」 ときめきがドア越しに声をかけたが、しかし、中からは返事が無かった。 「……お〜い、出てきてくれんか〜?」 会長がさらに声をかけても、反応は一切無い。 二人は顔を見合わせ、『どうする?』と思案した。 何しろ、実際の犯行時に唯一家に居た人間だ。ぜひとも話を聞いておきたい。 ならば、とるべき行動は一つだろう。 ときめきはドアの鍵がかかっていないことを確かめると、えいやっと許可無しで開けてしまった。 一歩、踏み入れた部屋の様子に、ときめきは『ほう』と思わず声を上げた。 そこは、『超人の間』だった。 十二畳はあるであろう広い室内は、壁は瑞佳たんや観鈴ちんや舞のポスターで埋め尽くされ、床には大量 の超人芸夢が積み重ねられていた。 PS2が接続されたTVの画面には、TOD2にリアラたんが映し出され、部屋に流れるBGMは、Ai rのサウンドトラック。 超人による、超人の楽園がそこには在った。 「ほ〜っ……これはなかなか……」 「凄いもんやなあ……」 感嘆の声を漏らしながら、ときめきと会長は部屋を見渡した。 そんな、超人部屋の隅に置かれたPCの前に、広瀬凌少年の姿はあった。 「やあ、勝手に入ってすまないが……少し話を……」 ときめきが背中に声をかけても、広瀬凌はまったく反応を示さなかった。 GZMが言っていたとおり、相当の人見知りなのだろうか。 仕方無しに、ときめきと会長はそっと広瀬凌の背後に歩み寄り、彼が夢中になっているPCの画面を覗き 込んだ。 『あはは〜っ、舞〜、今日のお弁当はタコさんウィンナーだよ〜』 『……はちみつくまさん、タコさんウィンナー、相当嫌いじゃない』 「おっ、舞たんじゃないですか!」 画面に映し出されていた、己の萌えキャラの一人を見て、ときめきは思わず声を上げた。 「……舞、好きなの?」 ときめきの呟きに、今までディスプレイしか見つめていなかった広瀬凌が、ようやく反応を示した。 「はちみつくまさん」 舞の決め台詞で返したときめきに、広瀬凌の顔にかすかな笑みが浮かんだ。 どうやら、彼もまた根っからの超人らしい。超人話題で話を盛り上げていけば、上手く話を聞き出せるか もしれないと、ときめきは思った。 「他に、何か最近、いい萌えある?」 超人仲間と話す機会が少なく、その手の話題に飢えているのか、嬉々とした表情で訪ねてくる広瀬凌の言 葉に、ときめきは『ああ』と頷いた。 「鍵も萌えだけど、やはり今の萌えの頂点は金魚だな。雪乃たんこそ萌えだ!」 愛しい金魚を思い浮かべて、熱弁を振るうときめきに、広瀬凌は興味津々の様子だった。 「そしたら、明日、『はっぴ〜ぶり〜でぃんぐ』、CD−Rで焼いて持って来たるわ」 「本当!?」 会長の、微妙に犯罪チックな言葉に、広瀬凌は満面の笑みで叫んだ。 その表情に、随分と心を開いてくれたと感じたときめきは、今ならこちらの質問にも答えてくれるだろう と、質問をしてみることにした。 「さて……実は、君に少し聞きたい事が……」 と、ときめきが口に仕掛けたときだった。 「きゃーっ!」 突然、屋敷に姫の悲鳴がこだました。 「くっ!?」 「ときめき!」 ときめきと会長は、目配せで合図すると、すぐさま悲鳴の聞こえた一階の方へと駆けて行った。 そして、一階、浴室の前で、バスタオルを巻いただけの姿の姫と、その傍でおろおろするGZMの姿を発 見した。 「どうしました!」 慌てて叫ぶときめきに、恐怖とショックで言葉を失っている姫の代わりに、GZMが声を震わせつつ、浴 室の方を指差して話し始めた。 「よっ、浴室の窓の外から、入浴していた姫様を覗いていた奴が居たようで……」 GZMの説明が終わるや否や、ときめきと会長は、家の外へと飛び出して行った。 悲鳴から、まだ少ししか経っていない、急げば犯人が見つかるはずだ。 二人は外に飛び出すと、まずは浴室の外へと走った。 そこの芝生の上には、かすかに足音が残っていた。ここに誰かが居たのは間違いない。 「くっ、まだその辺にいるか!?」 「よっしゃ、手分けして探すぞ、ときめき!」 ときめきと会長は二人に分かれ、不振人物を探して、辺りを走った。 「居たか?」 「いや、見当たらん……くそっ、少し遅かったか!」 屋敷の周りをぐるっと一回りしたものの、怪しい人間の姿も、損痕跡も見つからず、ときめきと会長は苦々 しげに舌打ちをしながら顔を見合わせた。 「せっかく、仕事初日に犯人をとっつかまえるチャンスだったんだがな……」 「くそっ……どうするか?」 会長とときめきは、落胆の色を隠せずに語り合っていた。 と、その時だった。 「あれ?ときめき先輩!?」 と、突然、ときめきの背後から声がかかった。 「うん?」 声に振り返ったときめきは、そこに立っていた意外な人物の顔に、驚きの表情に変わった。 「なんや、コロスケ君じゃないか!」 「はい、お久しぶりです、ときめきさん。それに、会長さんも」 そこに立っていたのは、ときめきと会長の学校の後輩だった、コロスケだった。 「どないしたんや、こんなところで?」 「ええ。この辺りに、CANONのエンディングCGのモデルになった町並みの風景があるんで、そこの観 光に来たんですよ〜」 会長の質問に、コロスケは嬉々として答えた。 彼は、超人芸無のモデルスポット探しを趣味にしている超人なのだ。 「ははっ、相変わらず見事な漢っぷりだなあ。さすが、ボキが見込んだ超人遺伝子を持つだけのことはある ぜ、うん!」 「あははっ、そんなに褒めないでくださいよ〜……で、ときめきさんたちは何を?お仕事ですか?」 コロスケからの問い掛けに、ときめきは『はっ』と思いついて逆に尋ねた。 「コロスケ君、君、この辺りをずっと歩いてたのか?」 「えっ?ええ、そうですけど……」 「じゃあ、この辺りで、なんだか怪しい人間を見なかったか!?」 ときめきは一縷の望みを込めて尋ねた。 この辺りを歩いていたコロスケなら、何かを目撃しているかもしれないと、そのわずかな可能性に賭けた のだった。 そして、その賭けは、見事に当たった。 コロスケはときめきの問い掛けに、すぐさま『ええ』と頷いたのだ。 「見ました、見ました!なんか、さっき、額に超人芸無のCDを貼り付けて、こみパのTシャツを着て、『眼 鏡っ子マンセー!』とか叫びながら走って行く、変な男の人が居ましたよ……って、どうしました?」 コロスケは、いきなり顔を見合わせて、大きなため息をついたときめきと会長の姿を見て、不思議そうな 表情になった。 「……会長、どう思う?」 「どう思うって……そんな格好で、真昼間の街中を歩く人間……いや、超人なんて、一人しかおらんやろ、 どう考えても」 「……せやなあ」 会長の言葉にときめきは疲れたように首を振った。 「何か、思い当たる人でも……いるんですか?」 尋ねるコロスケの言葉に、二人は揃って首を縦に振った。 そう。そんなあまりにあまりな『漢っぷり』を見せる人間は、この世の中に一人しか居ないはずだ。 そして、その人物を、ときめきと会長は、良く知っていた―― <後編へ続く> |