Detective Chinguji tokimeki


Episode7



「広瀬さんに恋人っすか?」

「せや。そんな気配あったりせえへんかったかな?」

 ――葉っぱオフィスビル傍のコーヒーチェーンの一角に陣取り、ときめきが投げかけた質問に、北風は目を丸くしながらコーヒーを啜ってから答えた。

「いや……自分はそんな話、少しも聞いたことないっすけど……本当なんですか、それ?」

 心底不思議そうに逆に質問して来た北風に、ときめきは苦笑交じりで肯いた。

「いや、実はあいつの家から、女物の服とかが出てきてたらしいんや。まあ、それで、なんか半同棲みたいな感じで付き合ってた女が居るんやないかなあってな」

「へえ〜……いや、自分は広瀬さんからそんな話聞いたことなかったっすけどねえ……あの広瀬さんに彼女ですか……」

 本当に寝耳に水の話だったのだろう。北風は呆然とした表情で、なんと言っていいのかわからない様子でコーヒーを啜っていた。

「北風君も知らんか〜……他に誰か知ってそうな人間おらんかなあ。……あっ、姫さんとかはどやろな?あの人が一番仲良かったんやろ?」

 情報が得られるんではないかとあてにしていた北風からの収穫が0だったことに、少し落胆の表情を浮かべた会長が、ふと思いついて尋ねた。

「ああ、どうっすかねえ。確かに、広瀬さんと姫さんはプライベートでも色々と交流あったみたいですからねえ。知ってるとしたら、あの人が一番知ってそうですけど……でも、姫さん、実家の方で不幸があったからって、この一週間ばかり休んでますけど」

「なんや、そっか〜……そしたら、話も聞けへんかあ」
 
 あてが外れて、ときめきはがっくりと肩を落としてため息をついた。

 鍵での狂乱の騒動の日から早くも二週間。その間もほとんど進展を見せない事件の捜査に、いい加減うんざりとした気持ちを隠すことは出来なくなっていた。

 さて、どうしたものか?と、ときめきが隣の会長に伺うように目線をやったとき、店の自動ドアが開き、見知った顔が入って来た。

 北風と同じ葉っぱの社員、フリルの天使である。

「おう、フリル君、こっちや!」

 丁度いいとばかりに、ときめきはすぐに立ち上がってフリルを呼び寄せた。

「あっ、どうも」

 フリルはときめきたちに気がつくと、カウンターで自分の分の購入してから、すぐに席までやってきた。

 しかし、その表情に一瞬『げっ!』という不満と恐怖の入り混じったものが浮かんでいたのは、某マスクマンのことやらなんやら、ときめきたちと顔を合わせたときにはロクな思いをしていないという過去の経験ゆえだろうか。

 まあ、それも無理ないかと、ときめきは苦笑を浮かべてそれに関しての突っ込みはしないことにして、フリルが席に着くと挨拶もそこそこに、先ほど北風にしたのと同じ質問を投げかけた。

 正直、ほとんど期待はしておらず、おそらく北風同様に『思い当たることはない』という答えが返ってくるだろうと思っていたときめきだったが、その予想に反し、フリルの口からは思わぬ答えが返ってきた。

「ああ……そう言えば、一回だけそれっぽい人を広瀬さん家の前で見たことありますねえ」

「えっ!?」

「まじか〜!」

 おぼろげな記憶を探るように言葉を紡いで答えたフリルに、ときめきと会長は揃って意外そうに驚きの声を上げた。

「いや、見たって言っても、本当に遠めで見ただけですけどね。丁度……一年くらい前だったかなあ。デートの時に、偶然広瀬さんのアパートの前を通ったことがあって。そのとき、広瀬さんの部屋から女が出てくるのをたまたま見ちゃったんですよ〜。なんというか、遠めでちらっとだけだったんで良くわからなかったですけど、そこそこ若くて、かなり背が高い女性でしたねえ」

「そうか〜……それで、もっと何か詳しくは知らんのか?」

 期待して更に話の続きを待つときめきだったが、フリルはすまなさそうに首を横に振るだけだった。

「いえ、本当にそれだけ見ただけなんですよ〜。あとで広瀬さんに冷やかしながら聞いてみようかなあとも思ってたんですけど、うちの彼女が『そんな野暮なことしない方がいい』なんて言うもんですから」

 『あいつ、そう言うところ優しい奴で〜』などと、さりげなく惚気始めたフリルに、ときめきと会長は、

『んなこと誰も聞いてないんじゃヴォケ!』

『ちっ、クソファック女が!お前がいらんこと言うから、事件の手がかりが一つ減ったやないか!』

 などと、心の中で好き放題毒づいていたが、それを表に出すことは無かった。

 とにかく、広瀬の『彼女』が、残されていた服のサイズ通り、かなり体格の良い人物だと確認が取れただけでも収穫だったかと、ときめきがプラス思考で考えたとき、フリルが更に『あっ』と、何か思い出したように呟いて言った。

「俺はそんなに知らないですけど、姫さんだったら、もっと知ってるんじゃないですかねえ。あの人とは恋愛とかそっち関係の突っ込んだ話もしてたみたいですし。前、一回見たことあるんですよ。仕事終わりに、やたらと急いで帰ろうとしてる姫さんを捕まえて『彼氏とデートですか〜?』『ええ、そんなところよ』なんて軽口叩き合ってるところ。広瀬さんも、俺たちにはなんも話してくれなかったけど、姫さんになら、そっち関係のことも言ってそうだと思いますよ」

 その話を聞き、ときめきは『やっぱり姫さんかあ』と、ため息をついて腕を組んだ。

 自分でも考えていた通り、やはり広瀬と一番親しかったあの人物に、もっと詳しく話を聞きなおす必要があるようだ。

「まあ、あの人がこっち戻って来たら話聞くことにするわ。二人友共、今日はありがとな」

 ときめきは、これ以上ここでする話も無いと切りをつけ、二人に礼を言うと立ち上がった。

「いえ、お安い御用ですよ。広瀬さんのためですし、それに、今、会社に居てもすることないですからね」

 そう言って少し寂しげに笑う北風に、ときめきと会長は表情を曇らせて顔を見合わせた。

「することないって……やっぱり会社、もうあかんようになってるんか?」
 
 恐る恐る尋ねた会長に、北風とフリルは揃って寂しげに肯いた。

「……そうか」

 なんとなく予想はしていたが、現場の人間からはっきりと聞き、ときめきはさすがにうな垂れた。

 殺人事件、企画書盗難、そして社長のスキャンダルな逮捕。

 そうでなくても勢いを失っていた葉っぱにとって、立て続けに企業イメージを大きく損なう事件が続いたことは、最早致命傷であろうとは、ウワサとしてタバコから既に聞いていたことだった。

 超人ゲーム界に金字塔を打ち立てた葉っぱの歴史も、もう風前の灯し火なのだ。

「……まあ、ギリギリまで、自分たちは諦めませんけどね」

「ああ。まだまだ、俺たちがいい作品を作れば、きっと盛り返せると信じてるんで!」

 若い情熱に溢れる力強さで立て続けに言う北風とフリルに、ときめきと会長は『こういう人間が中にいるなら、まだ希望はあるかもな』と思いつつ、かすかに笑みを浮かべて、『頑張れよ』と激励の言葉を返した。

 それと同時に、葉っぱを救うためにも、次世代のメインシナリオライターとして期待されていた広瀬の名誉を回復し、もしまだ彼がこの世に居るのならば、再び葉っぱに戻って来れるように全力を尽くそうと、改めて誓うのだった――



                    第四章 再会



「……とは言ったものの、こうも収穫無いんじゃ、正直鬱やのう」

「せやなあ……はぁ〜」

 夜道、とぼとぼと『Star origin』へと歩きながら、会長とときめきは揃って肩を落とした。

 広瀬家の周辺での聞き込み、情報屋タバコのところへ調査依頼の報告を聞きにと、一日足を棒にして歩きまわったものの、何一つ収穫と呼べるものがなかったのだから、それも無理は無いことだろう。

「まったくのう……それにしても、ほんまにこの事件は底が見えへんわ。超先生殺しは計画的だったのか、発作的だったのか。企画書を盗んだ人間の目的は?……何一つ見えてこんし……俺たち、ほんまにこの事件解き明かすこと出来るんかいな……欝や」

 決め台詞とばかりに『鬱』を繰り返す会長の頭を軽く叩いて、ときめきが発破をかけるように言った。

「グタグタ弱音言ってもはじまらんやろ。俺たちが乗った電車は途中下車出来ないんじゃ!」

「俺たちが乗ったってなあ……元々は俺はお前に引きずり込まれただけやし」

「じゃかましい!今更そんなこと言ってもしょうがないやろうが!とりあえず、理由はどうであれお前かて乗りかかった船じゃ。途中で逃げようもんなら、もうお前、KOR追放やからな」

「うっ……わかったっちゅうねん。はぁ〜……」

 一番痛い、ヴァナ内での村八分を突きつけられ、会長は渋々と引き下がるしかなかった。

 大人しくなった会長に、ときめきは更に畳み掛けるように厳しい声を浴びせる。

「それで会長、この間からずっと引っかかってる『何か』について、まだ何も思いださんのか?」

 突っ込まれたくないことを言われた会長は、ますます面倒臭そうな表情に変わり、『ちっ』と軽く舌打ちしながら黙りこんでしまった。

 その反応だけで、答えを聞かなくても、まだまったく思い出していないことを悟ったときめきは、『ほんまに使えんわ』と、忌々しげに言い捨てた。

 そんな情け容赦ないときめきの言葉に、さすがに会長もキレ気味の表情で言い返した。

「お前かて、なんか俺と同じように引っかかることがあるとか言ってたやないか!?そっちは思い出したんか、虎羅?」

「……とりあえず、今日は『Star orgin』とこで、春日ちゃん相手に超人話でもしながら気分転換に勤しもうや」

「……お前、ほんまに汚いやっちゃのう」

 自分が痛いところを突かれた瞬間に、あっさりと話を変えてしまったときめきの態度に、会長は、『もう、こいつ本当にだめぽ』という顔でため息をつくだけだった。

 ときめきは、そんな会長の反応に気づかない振りをしながら、歩みを速めた。

 確かに、ときめき自身も、あの日以来、胸の奥でずっと引っかかっている『何か』の正体が未だ自分自身で掴めず、ずっともどかしさを抱えていた。

(なんか、ものすごい重要なことやと思うんやけど……あ〜っ、鬱陶しいわ!)

 会長に散々せかした手前、おおっぴらに言うわけにもいかず、ときめきは思い出せない自分自身への苛立ちで、心の中で一人静かに毒づいた。

「まあ、とにかく、気分転換や、気分転換!こんな鬱な気持ちじゃなんもはじまらへん!今日は飲んで帰ってヴァナって、事件のこと忘れるぞ」

 ときめきはそう言うと足を早め、『Star origin』へと急いだ――



「おつかれ〜!春日ちゃん、おるか〜?」

 扉を開けて店に入ると同時に、ときめきはカウンターの中に呼びかけた。

「ああ、ときめきさん、今晩は。今日もまた捜査だったんですか」

 そう言って、グラスを磨きながら答えたのは、春日ではなく、マスターの星元だった。

 ぐるっと見渡してみると、カウンターの中には春日の姿は見当たらない。

『春日ちゃんは?』と、ときめきが尋ねるよりも早く、カウンターに座っていたY2yが振り返って話かけてきた。

「残念だけど、今日は春日ちゃん休みだってさ」

「えっ、なんや、そうなんか〜。残念やなあ、今日、欲しがってた突き姫のMAD、焼いて持って来てやったのに」

 ときめきは残念そうに言いながら、Y2yの隣に腰を下ろした。

「本当に、残念ですよ〜。今日は、春日ちゃんに『義妹梁山泊』について色々と語ってあげようと思ったのに〜」

 ときめきに呼応するように、Y2yの隣に腰掛けてカウンターに突っ伏していた弥生が、残念そうに呟いていた。

 ときめき、遅れて店内に入りときめきの隣に腰を落ち着けた会長、Y2y、そしてカウンター内の星元までが、『春日ちゃん、今日休みで本当によかったな』と揃って苦笑を浮かべながら思っていた。

 一呼吸置き、『それにしても』と、星元がカウンターに腰掛けた四人を見渡して言った。

「春日ちゃんが入って以来、皆さん、うちへの出勤率増えましたね〜。やっぱり、女性店員の効果は偉大ですねえ」

 『売り上げ伸びてウハウハですよ』と、嬉しそうに言う星元に、Y2yが『まあね』と答えた。

「あの子、美人じゃないし、まあなんというか、『萌え』の対象には到底ならないけど、超人話に詳しくて、ノリもいいからねえ。飲み友達には持ってこいなんだよね」

「そうですよね〜。ぼくも、なまらノリノリに超人話してくれる女の子見るの初めてですからねえ。話してて、本当に楽しいですよ〜」

「せやなあ。明るくて愛嬌のある子やで、ほんま」

「まったくや。そっか〜……今日は春日ちゃんおらんのか〜」

 口々に、陽気で楽しい春日への好感を話す面々の最後に、ときめきが寂しげにカウンターを見つめて呟いた。

 実際、一向に進まない捜査が続く日々、夜、この店で彼女と賑やかに超人話で盛り上がるひと時は、ときめきにとって、ヴァナと同じくらい、いい気分転換になっていた。

 Y2y、弥生の二人も良く顔を見せていて、そんな面々でにぎやかに騒ぐその雰囲気は、まるで今は亡き広瀬凌――うさ君が居たときの、あの賑やかさを思い出させてくれていた。

(うさ君……)

 ふと広瀬のことを思い出し、ときめきは、まだ何も事件の糸口を見つけていない自分に対して、軽い自己嫌悪を感じながら沈みこんだ。

 そんなときめきの心境を敏感に察したのか、星元が『そういえば』と、空気を変えるように言った。

「さっき、電話がありましてね、もう少ししたら、珍しい人がここに来てくれますよ」

「えっ?珍しい人って?」

 想像がつかずにきょとんと聞き返したときめきに、星元が『ときめきさんの知ってる人ですよ』と微笑みながら答えたときだった。

 からんっ♪と扉が開き、件の人物が店内に入って来たのは。

「こんばんは〜。あっ、ときめきさん!会長さん、お久しぶりです!」

「えっ……あっ、コロスケ君やないか!なんや、久しぶり〜!東京きとったんか〜!」

「おお、珍しいなあ〜。また、どこか超人ゲームのモデルになった場所の写真取りに来てたんか?」

 ときめきと会長は、懐かしい顔に嬉々として立ち上がって、その男を迎えた。

 彼の名はコロスケ。ときめきと会長の大学の後輩であり、超人ゲームのモデルとなった場所を調べ、撮影することを無常の趣味とする、いかした超人カメラマンである。

「ええ、ちょっと大学休みになったんで。今回は、突き姫の舞台を撮ってきたんですよ〜。写真、お見せしますね」

「おおっ、見ようや見ようや!」

 思わぬ珍客の登場に、ときめきは先ほどまでの沈んだ気持ちもどこかへ消え失せ、上機嫌でコロスケをカウンターに招いた――



「……で、これが学校のモデルになったところの写真で……」

「へえ〜……よくここまで中の写真取れたねえ」

「あははっ、それはまあ、ちょっと忍び込んだり」

「虎羅、お前、不法侵入はいけないぞ!まったく、警察官の前で、そんな危ないネタばらしは勘弁してくれよ〜」

「あははっ、すいません」

「けど、本当に毎度毎度良く調べるね〜。なまら努力家だねえ」

「せやなあ。こんなん、どないして調べるんや?」

「それは企業秘密ですよ」

「あほ、何が企業秘密やねん!」

「あっ、いたっ!ときめきさ〜ん、叩かないでくださいよ〜!」

「ただのツッコミやん!そんぐらい受けろや」

「ひどいな〜」

 コロスケがデジカメで見せてくれる、今日撮ったばかりの写真の数々を見ながら、超人たちの賑やかな酒宴は続いていた。

「ああ〜笑いすぎで咽喉渇いた〜。ゴッド、お代わり〜」

『ギャハハッ!』と、鬼のような大笑いをしていたときめきが、空になったグラスを掲げて星元にリクエストした。

「はいはい。何にします?」

「そうやなあ……あっ、せや。いつも春日ちゃんが飲んでるあれ、コーラのやつ、貰えますか?」

 少し思案した後、ときめきはたまには珍しいものをと、いつも春日が美味しそうに飲んでいるコーラとラムのカクテル『キューバ・リブレ』をオーダーした。

「はい。了解です」

 星元はときめきからグラスを受け取ると、早速それを作り始めた。

 と、ときめきがカクテルが出来上がるのをぼーっと待とうとしたときだった。

「うわっ、なんだこれは!」

 デジカメの写真をみていたY2yの、楽しげな声が店内に響いた。

「あっ、それはその……」

 珍しく戸惑いを浮かべているコロスケと、その写真をみてニヤニヤとする一同に興味を引かれ、ときめきも『どれどれ』と覗きこんでみた。

 と、デジカメの画面に映し出されていたそれは、今までの風景とはまるっきり趣の違うものだった。

「なっ、なんじゃこりゃ〜!虎羅、コロスケーっ!」

 ときめきはその写真を見た途端、『がははっ!』と大笑いしながら、コロスケの頭をまた『ぱんっ!』と叩いてツッコミを入れた。

「いたっ!いっ、いや、やっぱりせっかく帝都に来たんですし、こういうところも観光したいかなあと……あははっ」

 曖昧な笑みで誤魔化そうとするコロスケを見ながら、一同は『まあ、気持ちはわかるが……』と、苦笑を浮かべるしかなかった。

 その写真は、メイド服姿のウェイトレスさんが闊歩する喫茶店内の風景――そう、最近流行のメイド喫茶の店内写真だったのだ。

「はぁ〜……この店は、結構LV高いなあ〜」

 一番熱心に見ていたY2yが、しみじみとした口調で漏らした。

 『この店は』という言葉の裏には、以前、この面子で乗り込んだ、某秋葉原のコスプレ居酒屋の店員があまりに痛々しいのばかりだったことを思い出しているのだろうと、その同席者であったときめきには用意に想像出来た。

 確かに、Y2yが呟く通り、写真に映ってるメイドさん達は、皆、なかなかの綺麗どころばかりだった。

「へえ〜……これなら行ってみてもええなあ」

 もう以前の経験で、『コスプレ〜』というものには懲りていたときめきだったが、これだけのLVの子が居るなら行きたいものだと、つい本音を呟いてしまっていた。

 と、そのときだった。

「……あっ!ちょっと、まて!これ、これ見ろや、ときめき!」

 突然、会長が何かとんでもないものを見つけたように、画面の片隅を指差して叫びだした。

「うおっ!なっ、なんや突然!?どないしてん、会長?」

 びっくりして非難の声を上げるときめきを無視し、会長は画面の隅にわずかに映っていた一組のカップルを指差して叫んだ。

「これや、この二人!これ、葉っぱの姫さんと、鍵の広報のDやないか?」

「えっ?」

 会長の言葉に、ときめきは半分見切れてしまっているそのカップルを、じっと見つめた。

 小さく、顔も半分しか見えないが、幸いにもぼやけてはおらずはっきりと見える。

 さっきまではメイドさん達にばかり目が行ってさっぱり気づかなかったが、言われて良く見てみると、確かにそれは、葉っぱの社長秘書であり、広瀬凌と縁深かった姫と、この間、鍵へ赴いたときに応対に出てきた、広報担当のDその人に間違いなかった。

「葉っぱの姫さんと、鍵の広報の人間が、なんでまたメイド喫茶なんかで……」

 同じように画面を覗き込みながら、Y2yが怪訝そうに眉を潜めて呟いた。

「ああ……そう言えば、姫さんには彼氏がおるみたいなこと、昼間、フリル君が話してたっけな……まさか、この二人、付き合うとるんじゃないやろうなあ」

 ライバル社同士の社員の、禁じられた恋仲。そんなことを想像させてくれる一枚の写真に、ときめきはただ事ならぬ気配を感じ、表情を硬くしていた。

 果たして、その予想通り、まだ興奮冷めやらぬ様子の会長が、『とりあえず、少し落ち着いて』と、星元がカウンターに置いた冷水のコップを一気に飲み干すと、再び息を切って話し始めた。

「それやねん!俺、思い出したんや、気になってたことが何かって!」

「えっ!?ほんまかっ!?」

 唐突なことに、ときめきは驚き目を丸くして叫んだ。

 会長は『せや』と肯きながら、慌てて言葉を続けた。

「この二人や!この二人のことだったんや!あのとき……社長同士のありえへん争いあったときや。俺、ショックで呆然としとって何気なく見てたんやけど、他のみんながあの生き恥バトルに慌てて戸惑ってる中、この二人だけ……姫さんと、Dだけが、笑ってたんや。それも、俺みたいにショックで精神崩壊した笑いやのうて、なんぞ企みが上手くいったみたいに、ほくそえんでたんや。二人で顔を見合わせてな!」

「なんやてっ!?」

 予想外のことに、ときめきはただそう叫んで絶句するしかなかった。

 誰もが恐怖に怯え、慌てるしかなかったあの惨状。その中で、たった二人、顔を見合わせてほくそえんでいたというのは、どう考えても普通ではない。なにかがあるとしか考えられない。

「それは……あからさまに匂うな」

「ですね……なんま怪しいですよ。そう言えば、葉っぱのゼルク社長のところに、『鍵の水瀬社長が誰彼2の企画書を盗んだ』ってウワサを流した人間も、まだはっきりわかっていませんし……」

 ありえない二人の接触と、現場での怪しい態度。

 これが、この事件となんの関わりも無いということがあるのだろうか?……いや、無い。

「ときめき……これは、絶対なんかあるで?」

 ようやく見つけた、事件解決の糸口のようなものに、会長はさすがに興奮を隠し切れないように声を震わせながら言った。

 ときめきもまた、捜査の光の見えてきたことに、軽い武者震いすら感じつつ、必死に気持ちを落ち着かせようと、深呼吸を繰り返していた。

 と、そんなときめきに、星元が琥珀色の液体で満たされたグラスを差し出した。

「ときめきさん、注文のカクテルですよ。……とりあえず、こいつで一杯やって、少し間を入れましょう。焦ってはいい考えも浮かばないでしょう」

「ゴッド……そうですね、そうしますわ」

 確かに星元の言う通り。ここまで来たら下手に焦るより、冷静になってじっくりと取り組んだ方がいい結果が生まれるだろうと、ときめきは気持ちを落ち着けるためにも、グラスを手に取って、中の液体を一口飲み込んだ。

 ――途端。

「ぶっ!……ゲホッ、ゲホッ!」

 ときめきは、口にした液体を噴出すと、激しくむせ始めた。

「おい、ときめき、どないした!?」

「ゴッ、ゴッド!いったい何、飲ませたんですか!?」

「こんなときにどっきりなんていらないよ、朋友!」

 苦しむときめきを見て、三人が血相を変えて星元に食って掛かった。

「いっ、いや!私はただ、いつも春日ちゃんが飲んでいるのと同じレシピで、いつも通りにキューバ・リブレを作っただけですが……」

「いつも通って……現に親父はこの通り……」

 『おかしいな?』と、不思議そうな表情で弁明する星元に、それでも納得せずにY2yが更に食って掛かろうとしたときだった。

「ちょっと待ってくれ!ゴッド……ほんまなんですか、それ」

 ようやく落ち着いたときめきが、声をわずかに震わせながら、恐る恐ると言った様子で尋ねた。

「えっ……なにが?」

 一瞬、何を聞かれたのかわからずにきょとんとした星元に、ときめきは再び声を震わせながら、それでもさっきよりはっきりと尋ねた。

「……今言ったことですよ。これが、ほんまにいつも、春日ちゃんに飲ませてるカクテルなんですか?」

「えっ?あっ、ああ、そうですけど……ちょっと失礼……うんっ、間違いない、この味ですよ」

 星元はときめきからグラスを受け取って一口啜ると、『やっぱり私は何にも間違ってなかったのに……ときめきさん、どうしたんですか?』と、怪訝そうに尋ねた。

 しかし、その質問に、ときめきが返答することは無かった。

「これが……それで春日ちゃんは美味しいって……えっ……そんな……いや、まさか……」

 ときめきは驚愕の表情で俯き、声を震わせながら何か意味不明なことをぽつりぽつりと呟き続けていた。

「おい、ときめき、どないした?一体、何があったんや?」

 会長が肩を掴んで揺すり、懸命に声をかけても、ときめきはしばらくの間反応を示さなかった。

 ときめきは、今、知った、たった一つの『事実』をきっかけに、自分の中で事件の『点』がつながり、急速に線となって行く様に、ただ夢中になって頭を働かせていた。

 その推理は、あまりにも突拍子も無いもの……しかし、現状で知りえる情報を統合して考えたとき、もっとも説得力のある推理だった。

「そんな……ありえへん……ありえへんけど……しかし……」

 ときめきは、大きくため息をつき、もう一度考えをまとめてからようやく顔を上げた。

 信じたくない、認めたくないが……やはり、そうとしか考えられないというのが、ときめきの導き出した結論だった。

 顔を上げたときめきは、ただならぬ様子に緊迫した表情で自分を見つめる一同を見返すと、静かな声で告げた。

「みんな……事件の全貌、見えて来たで……正直、ありえへん推理かもしれへんけど……」

 ときめきがゆっくりと語り出した推理。その話に、一同は顔を青褪めさせ、震えるしかなかった。

「まさか……そんなん、ありえへんやろ……いや、けど……」

「……信じられない……が……」

「なまらヘビーな推理ですけど……」

「可能性は……捨てきれないですね」

 その常識外れな推理に、すぐに首を縦に振ることは出来ず、かと言って真っ向から否定することも出来ずに、一同はただ呆然となるしかなかった。

 そんな面々に、ときめきは深くため息をついてから、固い意志を込めて言った。

「とにかく……すぐに、調査や。俺と会長、二人の見つけた『違和感』が事実かどうか、その裏付けをせなあかん!事態は一刻を争うんや。みんな、力貸してくれや!」

 ときめきの呼びかけに、四人はすぐに『おう!』と力強い返事を返した。

「……あの……一体、何がどうなってるんですか?」

 そんな中、ただ一人、事件のことなど何も知らないコロスケだけが、蚊帳の外の人になって、呆然とするしかなかった――



 ――それから数日。ほんのわずかな『きっかけ』を掴んだあの夜以降、捜査は急速に進んだ。

 Y2y、弥生の刑事コンビ。秋葉原の情報屋タバコ、そしてときめきと会長。それぞれが全力で情報収集に乗り出し、次々に手がかりを手にして行く。

 事件勃発以降の停滞感が一気に払拭されたように、それは順調に、スムーズに進んで行った。

「……そうか、やっぱりそうか……」

「うな〜。医者には、写真を見せてちゃんと確認取ったよ〜」

 秋葉原のビルの一室。決め手になる、とある調査を依頼していたタバコの元に結果を聞きに来たときめきは、自分が予測していた通りの報告を受け、複雑な表情をしていた。

 タバコから得た情報と、今まで調べて来た情報、そしてもうすぐしたらここにやってくる約束になっているY2yと弥生が確認してくれている情報。

 それが揃えば、ようやくこの何事件も解決へとたどり着くであろう。

 それなのに、ときめきの表情には、喜びは欠片も浮かんでいなかった。

「ときめき……やっぱり、そうなんやろうな」

 会長が、肩を落とし黙したままのときめきに、気遣うように恐る恐る声をかけた。

「……ああ」

 ときめきは、搾り出すような声で呟いた後、そのまま黙り込んでしまった。

 会長も、タバコも、そんなときめきに声をかけることも出来ずに重苦しい沈黙が部屋を支配する中、表から階段を降りてくる人の足音が聞こえて来て、やがてドアがノックされ、部屋にY2yと弥生が息せき切って走りこんできた。

「おう、待たせた!鑑識の調査結果、出たぞ」

 Y2yは茶封筒を掲げながら部屋の一同に呼びかけた。

 その表情には、ときめき同様、事件の解決が見えてきた喜びは無く、複雑な暗いものだった。

 掲げられた封筒に入っているであろう報告書を見るまでも無く、その調査結果がときめきの推理したとおりの……最悪の結果だったことが、明らかにわかるほどに。

「そうか……やっぱり、一致したんか……」

 暗い表情で呟き尋ねるときめきに、Y2yは『ああ』と、小声で呟き返すと、深いため息をついて黙り込んでしまった。

「なんというか……なんまきっつい……展開ですね」

 ため息交じりで呟いた弥生の一言が、沈み込む一同の思いを代弁していた。

 明らかになって来た、悲しい結末……真実に近づいた今、果たしてこれをどのように決着したらいいのかと、皆、沈痛な面持ちで黙りこむしかなかった。

 そんな中、じっと考え込んでいたときめきが、意を決したように、静かに呟き始めた。

「会長……おじ鬼、弥生ちん……すまんが……最後の締め、俺に任せてもらえへんか?」

「ときめき……お前……」

「いや……しかし……」

「ときめきさん……」

 三人は、それぞれときめきを気遣うように顔を上げて戸惑いの表情を浮かべたが、既に意を決したときめきの力強い声の前に、それを引き止めることは出来なかった。

「……人生色々だねえ……」

 見守るタバコの、紫煙混じりの小さな呟きだけが、緊迫する空気の中、静かに響いた――



 ――夜の街。裏道を、Bar『Star origin』へ向かって走る、一人の大きな女性の姿があった。ウェイトレスの春日である。

「わ〜っ、遅くなっちゃった」

 時計を見ながら、春日は店に向かって急いだ。

 普段ならとっくに店を開けている時間で完全に遅刻だが、何故か今日はマスターの星元から、いつもよりかなり遅いこの時間に出勤してくれと、昼に電話をもらったので、こうしてすっかり薄暗くなった中を走っているのだった。

 でも、今日に限って何でだろう?少し疑問に思いながら走っているうちに、店の前にたどり着き、春日は扉を開けて中に入った。

「こんばんは〜!遅くなりました……あら?」

 中に入った途端、春日は怪訝そうに呟いた。

 もうとっくに開店しているはずの店内は何故かカウンターのところに少し明かりがついているだけで薄暗く、マスターの星元も、お客の姿も無かったのだ。

 どうしたんだろう?と、春日が店内を見渡しているとき、カウンターの端から聞きなれた声がかかった。

「……よう、春日ちゃん。まっとったで」

「えっ?……あっ、ときめきさん」

 振り返った春日の視線の先にいたのは、カウンターに一人静かにたたずむときめきの姿だった。

「ときめきさん、こんばんは〜。……って、今日、お店どうしちゃったんでしょうね?こんなに暗くしたままだし……それに、星元さんや他の方は……」

 とりあえず見知った顔を見てほっとしたのか、笑顔で色々と尋ねてくる春日を、ときめきはそっと右手を上げて制した。

「ちょっとわけありでな……まあ、とりあえず春日ちゃん、一杯付き合ってくれへんか?いつも君が飲んどるキューバ・リブレ、作ってくれや。俺と春日ちゃんの分、二杯な」

「えっ?あっ……はい」

 何か、いつもと明らかにテンションの違うときめきの様子に、春日はなんだか妙な感覚を覚えていたが、とりあえずはカウンターの中に入ると、荷物を置くのもそこそこに、注文通り、キューバ・リブレを作り始めた。

 毎日のように、ときめきやY2y、店の常連たちの奢りでご馳走になっているカクテルだけに作り慣れている春日は、手際良くあっという間にそれを作ると、一つをときめきの前に差し出し、もう一つのグラスは自分の手に持った。

「はい、どうぞ」

 春日が差し出したグラスを、ときめきは無言で受け取ると、そっと掲げて春日に乾杯を促した。

 いつもなら、もっと陽気に乾杯を求めてくるときめきの、このローテンションぶりに、春日は怪訝そうに眉を潜めながらも、促されるまま、自分のグラスを、ときめきのグラスとかすかにぶつけた。

 チンッ♪

 暗い店内に、ガラスの済んだ音色がかすかに響くのを聞きながら、走ってきたこともあり咽喉が渇いていた春日は、早速それをごくっと一口飲んだ。

「ふ〜っ……美味しい」

 飲みなれたお気に入りのカクテルの味に、春日は思わず幸せそうに呟いた。

 と、そんな春日の呟きに合いの手を入れるように、ときめきが呟いた。

「美味しいか……これ?」

「えっ?……ええ、美味しいですけど……?」

 何故だか自虐的とも見える、悲しい笑みを浮かべているときめきの表情に、春日はきょとんとしながら首を傾げて呟き返した。

 そんな春日の顔をじっと見つめたときめきは、深くため息をつくと、突然立ち上がり、身を乗り出してカウンターの中のある物を手に取りながら言った。

「こんなコーラで作ったカクテルが美味しいゆうたの、ゴッドと以外には、たった一人しかおらんかったわ!」

 そう叫びながら、ときめきがカウンターに置いたのは、春日がこのカクテルを作るのに使ったコーラの空き缶。それは、世間一般では『地雷』扱いされている、Dr.ペッパーだった。

 あの日。星元が、この『Star origin』オリジナルカクテルを作った日……広瀬凌と初めて会った日以来、この店の『キューバ・リブレ』のレシピは、他に類を見ない、このレシピのままだったのだ。

 普通の人間ならば、ときめき同様『ォェァ』な反応を見せるこのカクテルを美味いと言ったのは、ときめきが知る限り、星元、春日……そして、もう一人だけ。

 ――メチャクチャ美味いじゃないっすか!

 そう言って、嬉々としてこのカクテルを飲んだ男。その名は……

「……あの……ときめきさん?」

 じっと、何かを見据えるような目で自分を見つめるときめきの視線に、春日は何かを感じ取り、声を震わせながら尋ねた。

 そんな春日の問いには答えず、ときめきは静かに言葉を続けた。

「そうやな……初めから気づくべきだったわ。こんな地雷なカクテルを美味い美味い言うて飲む人間なんてそうそうおらへん……同じくらいの背丈の人間が着る女物の服、けど、まったく痕跡の無い彼女。……そう考えると、一つだけ、恐ろしい推理が浮かんできたんや。……それでもって、色々調べると、手がかりになりそうなもんがかなり見つかったわ。……会社のPCのHDDの奥深くにパス付きでしまってあったフォルダの中に……銀行の貸し金庫の中に……実家のタンスの奥に……あっちこっちから、その趣味の人間の雑誌が出てきたし……非合法でそんな『手術』をする医者も、バコちんが見つけ出して、裏づけとってくれた。そしてなにより……顔を変えて、声を変えても……指紋だけは、現代医学じゃどう足掻いても変えることが出来ないんや……」

 ときめきはそこまで言うと一端言葉を止め、じっと目の前の『人物』を見据えた。

 先ほどまでの怪訝そうな曇りは既に消え、その顔は青褪め、ただ呆然とときめきを見つめていた。
 
 そんな『人物』を見据えたまま、ときめきは最後の言葉を続けた。

「……こっそり、昨日、君が使ってたグラスを持ち帰って、警察の鑑識で指紋鑑定してもろうたんや。その結果は……完璧に一致したそうや……なあ、春日ちゃん……いや、うさ君」

 少し泣きそうなくらいに震える気持ちを抑えながら、ときめきがはっきりとその名を口にした途端、彼は諦めたようにため息をつくと、グラスに残っていたカクテルを、一気にぐいっと飲み干した。

「……ふ〜っ……本当に美味いんですけどねえ、このカクテル。……ははっ、でも、まさかそんなことがきっかけで気づかれちゃうなんてなあ……」

 苦笑交じりで呟くその声は、裏声でも使って変えていたのだろう、先ほどまでの声とは大違いな……紛れもない、『うさ君』こと広瀬凌の声、そのものだった――



「……自分が、性同一性障害だって気づいたのは……もう随分前でした。中学生くらいですかね。もっとも中々自分自身でそれを受け入れられずに、ずっと一人で悩み続けてたんですけどね」

 ときめきにカシスオレンジ、そして自分にお代わりのキューバ・リブレを作ってから、広瀬はそう言って自分の過去を話始めた。

「ずっと来るしくて……そんな悩みを、超人趣味で誤魔化したり……でも、そんなことも長く続かなくて、遂にこうして形だけでも女の子の格好をして自分を慰めるようになったのは、葉っぱに入社してすぐくらいの頃でした。化粧して、女物の可愛い服をきて……本当に、たったそれだけですけど、それでも十分、慰めにはなってたんです」

 遠い目をしながら語る広瀬。ときめきは黙ってその話を聞きながら、彼の胸中に思いを馳せた。

 性同一性障害。それがどんなに重いものなのか、経験の無いときめきには想像すらつかなかったが、広瀬が人知れず大きな苦しみを抱いていたのは、今、少し話をきいただけでも十二分に伝わってくる。

 そんな気持ちを感じながら、ときめきは広瀬の告白に、じっと耳を傾け続けた。

「そうして……最初は、家の中で鏡を前に女装しているだけで満足だったのが、そのうちエスカレートして来て……遂には、その姿で町を歩かないと満足出来なくなってしまったんです。そうして、休みの度に、あっちこっちを女の姿で歩いてたんですけど……そんな、ある日、その姿を……うちの会社の、姫さんに見られてしまったんです」

「……そうだったんかあ……それで、姫様は……いや、聞かなくてもわかるか。きっと、そんなうさ君に理解を示してくれたんやな。せやから、一番の仲良しになったっちゅうわけか?」

 ときめきの言葉に、広瀬は『ええ』と肯いた。

「見つかったからには隠すわけにもいかなくて……ぼく、全部話したんです。笑われるか、軽蔑されるか、どっちにしても、会社には居られなくなると思ったんですけど……あの人は、ぼくを受け入れて、優しく励ましてくれたんです。それがきっかけで友達になって……まるで、本当の弟……いや、『妹』みたいに、ぼくのことを可愛がってくれました……あの人が居れくれたから、俺、ずっと頑張ってこれたんです」

「……なるほどな」

 孤独に生きてきた中、ようやく現れたたった一人の理解者。それが広瀬にとって、どれほど心強く、大きな存在だったのか……

「……それだけ大切な姫さんのことやったから……超先生を殺してまで、守ろうとしたっちゅうわけか」

 やりきれない思いをため息に込めて吐き出しながら尋ねたときめきに、広瀬はかすかに苦笑を浮かべながら『ええ』と肯いた。

「実は……あの夜、ぼくは超先生と話し合いをしていたんです。姫さんへのセクハラをやめろって……それが……『あの女の感じている感情は、俺への精神病感情の一種だ。俺にしか治せない俺に任せろ』って、話にならなくて……そのまま、言い争いになって……つい……」

 そのときのことを思い出しながら、広瀬は沈んだ表情で呟いた。

 ときめきは、その話に口出ししたい気持ちを抑えながら、ただじっと耳を傾け続けた。

「そして……あいつを殺してしまった後……その場を逃げ出して……本当は、そのまますぐに死んでお詫びをしようと思ったんですけど……ステルヴィアの続きが気になって、どうしてもそれは出来なくて。で、ふと思ったんです。『どうせ、広瀬凌という人間は、これで死んだも同然。なら、死んだつもりになって、本当の自分に生まれ変われれば』って。それで……」

「……手術を受けて……『春日』になったんやな」

 確認するように言うときめきに、広瀬は『ええ』と肯いた。

 ずっと本当の自分を押し殺さずを得なかった人間。確かに、生まれ変わるにはぴったりな事件だったのかもしれない。

「それで……誰彼2の企画書は、どないしたんや?」

 すっかり忘れてしまうそうになっていたその話を尋ねたときめきに、広瀬はあっさりと言い放った。

「ああ。あれはもうとっくに燃やして捨てましたよ。あの日、話し合いの最中に、あいつが自慢げにあれを見せてきたんですけど……正直、酷いを通り越してギャグでしかなかったです。あんなものが本当に開発されたら、間違いなく葉っぱは終わりだろうと思って……どうせ人殺しだし、これに盗みの一件ぐらいおかしても同じだって思って……現場から盗んで行ったんです」

「……そうか」

 ときめきは、何かを考えるように俯いたままつぶやき、半分ほど残っているカシスオレンジのグラスを弄んでいた。

 広瀬もそれ以上何も話すことはなく、同じように自分のグラスを弄んで沈黙を守っていた。

 それぞれ、胸に抱いた思いがありながらそれを出さず、ただ沈黙だけが店内を支配し続けた。

 そんな時間がどれほど続いただろうか?ようやく、ときめきが俯いたまま、ぽつりと呟いた。

「……なんでや」

「……え?」

「なんで……わざわざ、この店に戻ってきたんや。生まれ変わって別人として生きるのに、元々の姿であってた人間が仰山おるこの店に来るなんて、自殺行為以外の何者でもないやろ」

 ときめきは顔を上げ、やりきれない表情で尋ねた。

 そう。彼がこの店にウェイトレスとして戻ってくることがなければ、自分はきっとこの痛々しい『真実』にたどり着くこともなかった。

 ときめきは、恨みにも似た思いを込めながら、じっと広瀬を見つめ続けた。

 広瀬は、その視線に胸に痛みにも似た辛い感覚を覚えながら、俯いて自嘲気味に呟いた。

「そうですね……良く考えれば、本当に馬鹿ですよね……でも……ぼくは、ここに戻ってきたかったんですよ……どうしても……」

 広瀬は、熱い眼差しで、目の前のときめきを見つめた。

 その胸の奥に溢れる思いを滲ませながら……

 ときめきは、そんな広瀬から視線をそらすように顔をそむけ、絞り出すような声で言った。

「ほんま、きっつい話やで……友達のためにと思って調査してたことが……結果的に、その友達を自分の手で、こうして追い詰める結果になるやなんてなあ……なあ、うさ君、俺はどないしたらよかったんや……なあ、答えてくれや」

 悲痛な思いを叫ぶときめきに、広瀬は暗い表情で俯いた後、ゆっくりと顔を上げて呟いた。

「ぼくのこと……忘れてください」

「……えっ?」

 驚いて顔を上げたときめきの目に飛び込んできたのは、うっすらと目に涙を浮かべた広瀬の顔だった。

「ぼくのこと……忘れてください。初めからいなかった……そう思ってください。そうすれば……きっと、辛くなくなると思うから……うっ……」

 とうとう涙を堪え切れずに嗚咽し始めた広瀬に、ときめきは言葉に詰りながらも、吐き捨てるように叫んだ。

「今更……今更、忘れられるわけなんてないやろ!大体……お前はそれでええんかい!わざわざ危険を冒してまで、この店に戻って来たい思ってた、お前の気持ちはどうなるんや!……忘れてなんて……そんな、悲しいこと言うなや……なあ、友達やろ?」

 震える声で叫ぶときめきの言葉に、感極まった広瀬は嗚咽しながら俯き、ただ小声で『ありがとうございます』と返すだけだった。

 暗い店内に、しばらくの間、広瀬の小さな嗚咽だけが響く。やがてそれが収まった頃、ゆっくりと顔をあげた広瀬が、静かに尋ねた。

「それで……どうするんですか、これから。俺、やっぱり警察行きですよね……あれですか、Y2yさんか弥生さんが、逮捕に来てくれるんですかね……」

 覚悟を決めたように呟く広瀬の言葉に、ときめきはカウンターに肘をついて俯いたまま首を横に振った。

「さあな……俺はしがない探偵や。逮捕する権限はない……おじ鬼や弥生ちゃんは、当分ここには来ない、そういう約束になっとる」

「……えっ?」

 ときめきの意外な言葉と、その奥に隠された真意が何かわからず、広瀬はきょとんと首をかしげながら呟いた。

 そんな広瀬に言い聞かせるように、ときめきは静かに言葉を続けた。

「結局、俺は友達のために何も出来へんかった……今、俺が、目の前に居る友達のために出来ることといったらただ一つ。こうして、何も見ない、聞こえない、動かないで……しばらく、じっとしているだけや。そう、例えば、誰かがこっそりここから姿を消しても、わからないようにな……」

「……ときめきさん……」

 その言葉が、『早くここから逃げてしまえ』と暗に言っているんだと気づいた広瀬は、驚愕の表情で固まってしまった。

 黙殺して逃亡を許す。それが、ときめきがこの友のために出来る、数少ないことだったのだ。

「あの……」

「……はよしろや……」

 何か言おうとする広瀬を制し、ときめきは声を強めて叫ぶ。

 その調子に、これ以上会話は無いんだと悟った広瀬は、しばし俯いて考えると、ゆっくりと顔を上げ、カウンターを出て、扉へと歩き始めた。

 コツコツ……

 目を閉じて、じっとしているときめきの耳に、小さな足音が聞こえてくる。

 やがて、玄関の前あたりでその足音が止まると、最後に小さな声が、ときめきの耳に響いた。

「ときめきさん……ぼくが、なんでわざわざ危険を犯してまでここに戻って来たのかなんですけど……このお店の楽しい雰囲気が忘れられなかったのはもちろんですけど……それ以上に、ぼくは貴方を忘れられなかった……ぼくは……貴方のことが……」

 聞きたくない!色々な意味で。

 ときめきは、ぎゅっと耳を押さえ、それ以上、広瀬の言葉を一切聴こうとしなかった。
 やがて、いくつか呟きらしい気配が聞こえた後、扉がゆっくりと開く音が聞こえ、店内から、広瀬の気配が消えた。

 しばらく俯いたままで居たときめきは、ゆっくりと顔を上げ、暗い店内に自分だけになっていることを確認すると、深いため息をつき、複雑な思いを飲み込むように、残っていたカシスオレンジを一気に飲み干した。

「あいつ……最後まで、かばいやがって……ほんま、優しいというか……あほなやっちゃ……」

 そんな一途な友の思いを目の当たりにし、全てを知るときめきは、これからこの事件をどうまとめるべきなのか、暗い天井を見つめながら一人物思いにふけた――



<次章へ続く>